SNSで発信する新しい民謡居酒屋のカタチ 「結歌」の歌姫・石嶺愛莉さん

 

「私が“店の顔”になる」

 石嶺さんは18歳の頃から仕事で歌い続けてきた。当初は国際通りの民謡居酒屋を転々としながら演奏して歌う、いわゆるフリーの「流し」スタイル。その時に色んな店が持つそれぞれの“色”を知ったことが、「今の自分の方向性を見出すことにつながった」という。

「お客さんを楽しませることに特化したお店とか、テーブルについて歌うお店みたいに、色んなタイプの所があります。色々見てきた中で、自分がやりたいのは“歌を聴に来るお店”。お客さんの雰囲気を見ながら、自分が歌いたい歌とお客さんが聴きたい歌を聴ける場所を国際通りに作りたかったんですよ」

 溢れんばかりの思いを言葉にするように石嶺さんは語る。そもそも、石嶺さんが歌や三線を始めるきっかけは何だったのだろうか。

「母が踊りをしていたこともあって、南風原高校の郷土芸能文化コースに入学したんです。高1の時の担任の先生が三線の先生でもあるんですよ。『あんたは三線やった方がいい』って言われて、やったらまんまとハマりました(笑)。正直言って、最初はちょっと『ダサい』とも思ってたんですが、周りのみんながやっている環境でもあったので。今振り返ると、本当にやって良かった」

自分でも「ゲラなんです」というくらいよく笑う石嶺さんの笑い声は、周りの雰囲気まで朗らかにする

 そう説明しながら、朗らかにダイナミックにガハハと笑う。底抜けに明るいキャラクターも石嶺さんの魅力だ。歌うことについては「小さい頃から歌手になりたかったんです」と、シンプルかつ明快な理由。

「だから、国際通りに歌える場所(=民謡居酒屋)があるって知って『それしかない!』って思ったんです。やらないと後悔するタイプだから、あんまり何も知らない状態でとりあえず飛び込みましたね(笑)

 たたき上げのキャリアを積む中、テレビ東京のカラオケ番組に出演したことがきっかけで、石嶺さんに「今日はどこで歌ってるの?」と問い合わせが来ることが多くなったという。店を転々とするよりも、「ここに来たら自分の歌を聞いてもらえる」という自分の場所が欲しい、という思いが募った。

 現在の店のオーナーがもともと長い付き合いの知人で、「愛莉の店をやらないか」と声をかけてくれたという。コロナ禍の折でもあったが「私が“店の顔”になる」と覚悟を決めた。歌手になるという夢と、自分の歌を聞いてもらうための環境を整えた文字通りの「歌を聴きに行くお店」を実現したのが、現在の結歌だ。

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