復帰50年に沖縄県産米の泡盛醸造 忠孝酒造大城社長「泡盛業界の復帰は終わっていない」

 
伊平屋島の水田(忠孝酒造プレスリリースより)

 大城社長は「泡盛メーカーとしては地元の田んぼを守り、農家に対して経済的にも良い還元の仕方をしたいです」と話す。また、沖縄に田んぼがあり続けることは、日本の農業を守ることにもつながることを指摘する。「平成15年に東北地方を襲った冷害で収穫量が激減し種がなくなった時には、石垣島からの米で種もみを作りました。沖縄の田んぼは日本全体にとって重要です」

蔵元であり窯元でもある

 忠孝酒造はこれまでも、沖縄の伝統的な古酒熟成文化を残し伝える取り組みを行ってきた。その一つが「甕(かめ)仕込み」の泡盛。1989年から熟成甕の研究を自社で開始しており、蔵元であると同時に窯元でもある唯一の存在だ。

「ステンレスではなく、甕での熟成でしかできないソトロンという物質がメイプルシロップやキャラメルのような香りを醸し出します」と大城社長は説明する。

 テロワール泡盛に関しても、同社が独自で実験的に行っていた時期があった。2007年に沖縄本島北部・やんばる産の米を使用して泡盛「夢十色」を生産。しかし契約農家が米の生産の一線を退いたことなどから一過性のプロジェクトとなった経緯もあった。

統治下の27年間は「泡盛の暗黒時代」

 大城社長は、沖縄の日本復帰50年をどう捉えているのか。開口一番に告げたのは「泡盛メーカーにとっては、復帰はまだ終わっていない」という言葉だった。米軍統治下に置かれた沖縄の27年間は「泡盛の暗黒時代」が続いたという。

「みんなウイスキーを飲んでいたんですよね。米軍統治下で輸入ウイスキーの関税が安くて、当時は大学生でも、現在ならば高級なウイスキーが簡単に手に入りました。かたや泡盛は、スナックに行ってもカウンターの下の目立たないところに置かれていたのが現実でした」

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