アルゼンチン県系3世の感性で独創的シーサー爆誕!中城村に工房

 

 また、結婚式の贈り物や干支関係の制作依頼も多い。「新郎新婦シーサー」は、いつも沖縄を身近に感じられるように、男は琉球王国のハチマチ、女はハイビスカスを耳にかけ、お互いの指にはひっそりとリングが光っている。

新郎新婦シーサー

 寅年生まれのご兄弟へのプレゼントにと訪れたお客さんには、LEDを埋め込んだ斬新なランプシェードを制作した。

 依頼者の趣味や好きなものを取り入れたオーダーに合わせてシーサーを作れるので、お客さんからは「こんなのが欲しかった!」と喜ばれている。

沖縄への興味 きっかけは「亡き祖父の三線」

 マルティンさんは、父方が旧与那城村(現うるま市)の宮城島、母方が旧大里村(現南城市)の出身で、戦前に移民としてアルゼンチンに渡航した。

 子どもの頃は、祖父母が沖縄から移住したことを知らず、日系人の友達もいなかった。沖縄や琉球の文化などについて、全く知らなかったという。

 「マルティンは、沖縄のどこの市町村から来たの?」と聞かれた時に「うーん、東京かな?」と返したという笑い話まであるほどだった。

 自分のルーツを全く知らないと痛感した当時15歳のマルティンさんは、自身のルーツへの興味を募らせ、少しずつアルゼンチンの日系コミュニティに溶け込んでいった。琉球舞踊も習い始め、沖縄の音楽を聴き、文化を学び、琉球の歴史に興味を持つようになった。

沖縄留学で初めて陶芸を体験

 陶芸に興味を持ったのは、2017年、自身のルーツであるうるま市の海外移住者子弟研修で来沖し、3カ月研修で陶芸工房でシーサー作りを体験した時だった。

留学時、マルティンさんが作った初めてのシーサー作品=2017年、うるま市

 2019年には、沖縄県費留学生として再来沖し、県立芸術大学に入学。「陶芸」「染色」「織物」などをさらに学び、腕に磨きをかけた。

 二度の留学は、「沖縄文化を知り、実践する機会を与えてくれて、自分のルーツとのつながりを理解した忘れられない体験となった」と話す。

一度帰国もシーサー修行 ついに工房を構える

 留学から帰国した後は、芸術家である兄の道具や窯を借りて陶芸の練習を積み重ね、「シーサー作りを続けたい」と昨年5月に沖縄に移住した。

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