沖縄定番の伝統菓子土産「ちんすこう」に秘められた歴史がすごい
- 2022/5/13
- 食・観光
琉球菓子革命は時代を追い風に
淑康は、王朝時代に蒸し菓子として食されていたちんすこうをレンガ釜で焼く焼き菓子に変え、長期保存を可能にした。県外との交通手段がまだ船しか無かった時代に、ちんすこうは県外まで持って行くことのできる人気土産品となっていった。
さらに菊形で食べにくかった形状を細長い一口サイズに改良する。その後、淑康の息子淑扶もますます画期的なアイデアで追い打ちをかけた。戦後アメリカの先端技術が急速に普及し始めていた沖縄で、アメリカ軍が持ち込んだクッキー製造機の型を流用し、ちんすこうを量産できるようにした。
実はたまたまアメリカ製のクッキー型に「ギザギザ模様」が入っていたため、今我々が知るちんすこうもギザギザ模様になっているのだ。さらに衛生面を考慮し、ちんすこうを小分け袋にパッケージングしたのも淑扶が初めてという。
それから時代は日本本土復帰記念事業である「海洋博覧会」を迎える。ここで淑扶は一気に勝負をかけ、製造から包装まで完全オートメーション化したちんすこう工場を首里に建設した。この大量生産計画が大当たりし、海洋博を機にちんすこうが沖縄土産の筆頭商品になったというわけだ。
現在沖縄県内でいくつかの「新垣菓子店・新垣ちんすこう」を目にすると思うが、これらは新垣親雲上淑規を開祖とする一族である。
淑康が創業した「本家新垣菓子店」、淑扶が本家から暖簾分けして創業した流れを汲む「有限会社新垣菓子店」と「有限会社新垣ちんすこう本舗」、それから淑扶の弟であり淑康の7男、淑正(しゅくせい)の妻「カミ」が伝統の菓子製法を守ってきた「新垣カミ菓子店」がある。同族と言ってもそれぞれに特徴があり味も違うので、食べ比べてみるのも面白い。
今では沖縄定番土産となった、いやむしろ定番となりすぎてしまっている感もある「ちんすこう」。このような歴史を添えた贈り物にすると、またひとつ違った琉球の味わいを提供できるのではないだろうか。