【復帰50年】8千人の反対デモのなか始まった自衛隊の沖縄駐屯

 

 広報活動では、自衛隊の活動を紹介する映像の上映会を各地で開いた。反対派に妨害されないよう屈強な隊友会メンバーを見張りに立てることもあれば、津堅島で上映会を開いた時には島に向かう船に大きなスクリーンを載せられず、民家からシーツを借りて映写したこともあったという。

 自衛官による絵画や書道の作品を展示する美術展を那覇市内で開くと、こんなことがあった。

「好評で多くの客が集まったのが面白くなかったのでしょう。勤め先の銀行の本店に過激派から電話があり、当時私が支店長をしていた石川支店を襲撃すると予告してきたのです。その結果、県警に一週間警備をしてもらう騒ぎとなりました。頭取からは『心配しなくていい。そのまま仕事を続けなさい』と言われたのですが、勤め先に迷惑をかけられないと思い、辞表を出しました」

 銀行退職後は、自衛隊の地方連絡部で務め、復帰後の自衛隊移駐で次々と起きる問題の対応にあたった。石嶺さんは自らを含む初期の隊友会メンバーのことを「幻の先遣隊」と呼ぶ。復帰の前年に陸上自衛隊の西部方面総監の上妻政康氏から受け取った手紙に、「皆さんは復帰前における唯一の自衛隊の尖兵であり先遣隊ということができましょう」とあったことから取ったものだ。

上妻政康西部方面総監から石嶺氏への手紙

急患空輸は1万人超、不発弾処理は3万8900件

 その後、沖縄における自衛隊の意識は大きく変わった。復帰から40年目に当たる2012年にNHKが実施した調査では、自衛隊を「必要」あるいは「やむをえない」との回答は合計で82%に上り、「必要ではない」との回答は9%しかない。

 復帰後に自衛隊が取り組んできた救急患者のヘリ輸送や不発弾処理、さらには東日本大震災をはじめとする大規模災害における救助や復旧などの地道な活動が評価されるようになった結果だと思われる。これまでに空輸した救急患者の数は1万人を超え、不発弾の処理件数は3万8900件を超える。それに加えて、中国の軍事的な台頭による沖縄周辺の安全保障環境の変化も大きく影響しているのだろう。

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