航空自衛隊史上唯一の警告射撃はソ連機が相手だった

 

 F4EJは高度を下げるよう求め、強制着陸させようとした。それでも従わないため、F4EJは相手の上空の前方に出て、海面に向けて20ミリ機関砲でえい光弾と実弾を発射した。もちろん命中を目的にしたものではなく、相手機の前方に向けて発射したものだ。

 それでもTU16Jはそのまま沖縄本島の中南部上空を7分間にわたり飛行。那覇や嘉手納の真上を通過した後にいったん領空の外に抜けた。

 そのまま太平洋へと向かうかと思われたが、進路を北に転じ、11時41分、沖永良部島と徳之島の間の領空を侵犯。追尾していたF4EJは再び警告射撃を実施した。4分後、TU16Jは領空を出て、東シナ海を北上し何事もなかったかのように去って行った。2回の警告射撃でF4EJが撃った弾の数は数百発に上った。

 翌日の「沖縄タイムス」にはこうある。

 <スクランブルしたF4ファントム機のパイロットと、那覇基地の防空管制指揮所(ADCC)との無線交信で、自衛隊側は警告射撃の前にソ連機を那覇空港に強制着陸させることを検討。その事態になった場合を想定して那覇空港事務所に空港の使用を申し出てきたという>

 ソ連機が強制着陸ともなれば、民間機の離着陸が制限されるなど大きな影響が出ていただろう。

米軍は上空待機していた

 ソ連機の目的は何だったのか。当時の駐日ソ連大使は日本外務省に陳謝するとともに、TU16Jの航行装置が故障した上にパイロットの操縦ミスが重なり領空侵犯したと説明したが、嘉手納基地など米軍基地の動向を監視することや自衛隊の探知能力を確認することが目的だったのではないかとも言われる。

嘉手納基地② 沖縄ニュースネット
米軍嘉手納基地

 米軍は独自に戦闘機を上空待機して警戒にあたるとともに、無線交信を一切停止した。周波数などの軍事情報が知られるのを防ぐためだ。

 翌年1月に在日米軍のエドワード・ティシェ司令官は記者会見でこの件についてこう述べている。

 「対応すべき責任が日本側にあることは十分理解していたが、米軍機も上空待機し、追跡しながら、十分観察していた。天候状態が良く、80マイル(約140キロ)離れていてみることができた。航空自衛隊の各レベルでの対応はすべて把握していた」
 その上で、「日本側は撃墜してもいい立場にあった。(83年の)大韓航空機撃墜事件と比べれば、自制心に富んだ立派な態度だった」と述べたという。

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