琉球、江戸、アメリカにまで影響を与えた一人の男「ジョン万次郎」
- 2022/1/12
- 社会
帰郷のため糸満に降り立つ
中国行きの大型商船に乗り、琉球近海で小型船に乗り換え上陸したのが摩文仁間切の「小渡浜」(現在の糸満市大度・ジョン万ビーチ)だった。
当時薩摩の支配下にあった琉球においても外国船の漂着等については厳重な監視が敷かれており、万次郎たちも長期にわたる取り調べ及び幽閉処置を受けた。しかし幽閉とは表向きであり、実際は豊見城間切翁長の高安家に居候するような形で村民とも触れ合い、地域の綱引きなどにも参加していたという。
現在も高安家は代々に渡って万次郎の子孫の方々と交流を続けている。また高安家の近くにはジョン万次郎記念碑も建っている。
琉球に上陸した頃の万次郎は長年のアメリカ生活で日本語がたどたどしくなっており、英語に精通した琉球王府の官僚・牧志朝忠が取り調べを行なった。牧志は万次郎が持ち帰った『ジョージ・ワシントン伝記』に深く興味を持ち、その本からアメリカの民主主義制度や人権の尊重など西洋文化を大きく学ぶことになった。
このことが後の琉球における行政改革にも大きく関わっていくだけでなく、来琉したペリーが牧志のアメリカに対する豊富な知識に驚き、国家を跨いだ交渉の駆け引きにも大きな影響を与えたと言われている。