寅年の初詣におすすめお寺と神社 琉球史感じる年の初めに

 
子、丑、寅、辰、巳年の方は「首里観音堂」へ

 今年も残すところあと僅かとなってきた。思い残しのある人、満足に新年を迎えられそうな人、それぞれの思いがあることだろう。2022年は「寅年」だ。今回は寅年にこそ参拝してもらいたい琉球のお寺と、中部きっての人気の神社についてお伝えしよう。

あなたの干支、参拝するのはこちら

 沖縄には、琉球王朝時代から王府によって特別な扱いを受けて来た4つのお寺、8つの神社が今でもある。お寺に関しては12干支の守り本尊が上の4つのお寺に割り振って祀られており、自分の干支のお寺を参拝する、その年の干支のお寺を参拝する、または家族分の干支や12支全てのお寺を参拝したりする。

■首里12ヶ所(お寺)

首里観音堂(子、丑、寅、辰、巳)
達磨寺(戌、亥、卯)
安國寺(酉)
盛光寺(未、申)

■琉球八社(神社)

波上宮(那覇)
沖宮(那覇)
識名宮(那覇)
天久宮(那覇)
末吉宮(那覇)
安里八幡宮(那覇)
普天満宮(宜野湾)
金武宮(金武)

 12干支全てを巡拝することを「首里12ヶ所巡り」また「寺まーい」と呼び、今でも正月シーズンの人気行事だ。

 来年「寅年」の守り本尊「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」は首里観音堂に祀られているので、寅年の方はもちろん、首里12ヶ所に興味のある方は新年の初詣に首里観音堂を訪れてみてはいかがだろうか。

人質にされた子の安全を願ったお寺

 首里観音堂は正式な寺号を「慈眼院」といい、臨済宗の寺院である。建立されたのは薩摩侵攻から10年ほど経った1618年。その当時、薩摩の支配下に置かれた琉球からはかわるがわる王族・士族階級の人々が人質として薩摩へと送られていた。

首里観音堂正式な寺号は「臨済宗慈眼院」

 後の尚豊王となる佐敷王子も人質にされ、その父親である尚久が王子の身を案じて王子が無事に戻ってこられたならば首里の高台に観音堂を建てることを誓い祈願した。

 その後、無事王子が帰国したことで首里の高台「万歳嶺(ばんざいれい)」(俗称:上ナチジナームイ)に観音堂を建て、その南に慈眼院を建立したのである。

 ちなみに万歳嶺とは、尚真王がこの地を遊覧した際、民が集まり万歳三唱が起こったことから万歳嶺と名付けられており、そのことを記した万歳嶺記が観音堂前に建つ。対して万歳嶺から袂の丘にかけては下ナチジナームイと呼ばれ、数千本の松を植えたことを記す「官松嶺記(かんしょうれいき)」が首里山川のバス停に建っている。

 慈眼院建立以降、那覇や港を見渡せる首里観音堂は琉球国における航海安全祈願や国の安泰祈願を祈る場所として、国王自らも参拝に訪れる由緒ある寺院となっていった。

 有名な琉球古典音楽「上り口説(ぬぶいくどぅち)」にも、海を渡って行く薩摩上りの情景が謳われており、首里の観音堂で旅の安全を祈願するというシーンから始まっている。また歌中には他にも大道(うふどー)、崇元寺、三重城、残波岬、伊平屋などの地名も出てきて、当時の航海の様子が目に浮かぶような歌である。

 観音堂には那覇を見渡せる休憩所もあるので、その歌詞を思い浮かべながら薩摩上り、江戸上りへ旅立って行った人々へ思いを馳せてみるのもいいだろう。

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