戦後北谷ヒストリー② 県民余暇のスタンダードを生み出した街
- 2021/10/15
- 社会
県民のためのリゾートタウン
バブルの頃、県民の主な娯楽がドライブだった一方で、開発が進む県内各リゾート地は観光客のための娯楽になっていた。高額な宿泊費、サービス料、市街地から離れた立地もあり、県民がリゾート地に行って楽しむ機会は多くはない。
そこで町は、県民が娯楽の場所を必要としている現状に目をつけ、ターゲットを県民に絞った。
開発地が沿岸という立地、交通の大動脈58号線沿線であること、那覇市や沖縄市のような都市からも北部からも近い地理的優位性、すぐ隣に見える基地を敢えてアメリカ文化として融合させ、「安くて近くて楽しい日帰りリゾート空間、美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジ構想」を立ち上げたのだ。
その後の活況ぶりは周知の通りである。1500台を収容できる無料駐車場を設置したことも斬新だった。沖縄県民の行動パターン、車社会の特性を先読みした構想の賜物である。
ドライブついでに北谷寄る? 無料駐車場もあるし! という現在の県民余暇のスタンダードはここに始まったのだ。
今でこそ沖縄県内を代表する観光リゾート地であり、米軍跡地利用の成功例として語られる北谷町美浜ではあるが、バブル崩壊や、その影響を受けた街づくりの見直しがなければ、今とは全く違う未来を歩んでいたのかもしれない。