独学でうちなーぐち学び ブラジルから沖縄へ
- 2020/10/14
- 社会
うちなーぐちを学び、広めたいと熱い想いを持ってブラジルから来沖した若者がいる。ブラジルの首都ブラジリア生まれの沖縄県系3世の上間エドゥアルド明さん(37)は、亡くなった祖父母が話していた言葉を学びたいとブラジル在住時からうちなーぐちを独学で学んだ。母国語のポルトガル語以外に、英語、スペイン語、日本語とうちなーぐちを話す。今ではうちなーぐち講座やラジオ番組を担当するレベルまで習得し、上間さんが行う講座には県内だけでなく海外からも若者が参加している。ブラジルにいながらうちなーぐちに興味を持ったきっかけや独学での学び方など、上間さんがうちなーぐちへの思いを語った。
おじぃとおばぁの存在
上間さんの父は非日系人と結婚し、家庭でうちなーぐちを聞くことはなかった。「おじぃは生まれる前に亡くなって会ったことがない。おばぁは6歳の時に亡くなって、記憶に残っているのはずっと車椅子に座って意味のわからないことばかり喋っていたこと」
上間さんは祖父母に思いを馳せて話はじめた。「ずっと昔からなぜおじぃとおばぁがブラジルに行ったのか不思議だった。日本がいいんじゃない?って思っていた。日本のことは知っていたけど、沖縄の存在は知らなかった」「日本語は16歳から真面目に勉強した。日本語学校の先生は内地の人で、日本文化を教わった。その時から自分の家族だけが他の日系人と違うと思っていた」
「お父さんにおじぃとおばぁの出身を聞くと”沖縄で生まれたんだよ”と。調べると昔は琉球王国だった。日本語とは別に地元の言葉があると発見したときにそれだと思った」「沖縄の言葉を学ばないといけない。おじぃとおばぁと喋ったことがないから二人が話していた言葉を学びたい。おじぃの言葉を学ぶと大体どういう考え方をもっていたのかが見えてくるんじゃないか。その時に、うちなーぐちを覚えるのが目標になった」
みんなバイリンガルだと思っていた
上間さんはブラジルでうちなーぐちを独学で学びはじめ、ブラジリア大学機械工学部卒業後、2008年度県費留学生として来沖、名桜大学に留学した。「うちなーんちゅはバイリンガルだと思っていた。全然イメージと違ってショックだった」と笑って言った。名桜大学で「はいさい、ちゃーがんじゅー」と言うと「ブラジル語なの?」と言われ、南米移民についても知らない人が多くて驚くことばかりだった。
最初の数年間はうちなーぐちに触れることができなかったが、うちなーぐち復活運動家の比嘉光龍(バイロン)さんとの出会いが上間さんに大きな影響を与えた。「比嘉光龍さんに半分うちなーぐち、半分日本語でメールを送ったら、すぐにうちなーぐちで返事がきた。本当に嬉しくて感動した」。うちなーぐちを流暢に話す比嘉光龍さんに憧れて、一緒にサークル、公民館、老人ホームに行き、地元の人と話をして学んでいった。その数年後、自身でうちなーぐち講座を持つまでになった。