園児らが平和祈る 聖マタイ幼稚園不発弾事故から49年
- 2023/3/3
- 社会
旧日本軍が埋めた不発弾(対戦車改造機雷)が爆発して3歳の女児1人を含む作業員ら計4人が死亡し、34人が重軽傷を負った「聖マタイ幼稚園不発弾爆発事故」から49年が経過した2日、同園(座安ゆかり園長)は犠牲者を慰める祈りを捧(ささ)げる「礼拝式」(慰霊祭)を厳かに執り行った。園児ら89人と関係者らが平和への願いを込めた。
同事故は、日本復帰後2年にも満たない1974年3月2日、那覇市小禄にあった同園で起きた。これまでも同園では慰霊祭を行ってきたが、新型コロナ感染症対策で、保護者ら関係者を招いての式典は3年ぶりとなった。礼拝式で、聖マタイ教会の上原成和牧師は「戦争は、戦前も戦中も、そして戦争をした後も、たくさんの人を傷つける。神様は戦争を望まない。皆さんには平和をつくる努力をしてほしい」と、子ども達に分りやすく話した。
来賓として招かれた事故当時、同園教諭を務めていた松田惠子さん(86)は、事故が発生したときの様子を子ども達に語り「戦争のない世界になってほしいと心から願っている」と述べた。また、事故現場を目撃した田島勝さん(67)は「あの事故以来、戦争の恐怖が毎日の様に襲ってくる。2度と戦争を起こしてはならない」と、それぞれに平和への思いを伝えた。
同園の卒業生にも当たる座安園長は本紙の取材に対し「慰霊碑が建立されるまでは、園の職員も事故について話すことがなかった。今では子ども達が自ら花を手向けるなどの光景を見ることも多くなった。慰霊碑に刻まれた聖句のように、『平和を実現する人々』に育ってもらいたい」と述べた。
その上で、ウクライナ・ロシア情勢について、「戦争を始めた人たちは、それを止める力もあるはずだ。一日も早く平和な日が取り戻せるように、しっかりと考えてほしい」と話した。
現在、同園は事故現場の那覇市から豊見城市に移転しているが、事故当時の現場近く(小禄病院敷地内)には「春惜月」という慰霊碑が建立されている。
(記事・写真 宮古毎日新聞)