曲折の歴史 那覇軍港返還はいつ実現するのか
- 2020/9/5
- 政治
8月、沖縄の米軍基地をめぐる「もう一つの移設問題」に新たな動きがあった。米陸軍施設の那覇軍港を浦添埠頭地区(浦添市)に移し返還する計画のことだ。浦添市が国、県、那覇市の推す移設配置案の受け入れを表明したことで関係者の足並みがそろい、計画を進める下地ができあがった。
米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設と同様、海を埋め立てて工事を進める那覇軍港の移設返還計画は国と地元の調整が難航し、曲折の歴史をたどってきた。日米が最初に返還に合意してから46年。スタートラインに立った計画が実現する日はやってくるのだろうか。
「辺野古問題」以上の長い経緯
那覇軍港(56ヘクタール)は1945年の沖縄戦での米軍占領に伴い整備された。米軍物資の積み卸しや、パイプラインを通じて県内の基地にジェット燃料を供給する役割を担ったほか、ベトナム戦争時には原子力潜水艦も寄港するなど重要な軍事拠点となった。
沖縄の本土復帰から2年後の74年、日米両政府が那覇軍港を移設条件付きで返還することで合意し、95年に移設先を浦添市の「浦添埠頭地区内」と決定した。しかし、移設先をめぐる日米と地元との調整は難航し、返還に向けた作業は具体化しなかった。96年に日米が合意した米軍普天間飛行場の返還は辺野古移設が進まず今なお実現していないが、那覇軍港の浦添移設にはそれ以上の歴史がある。
棚上げ状態にあった軍港問題の流れが変わったのが、2001年11月の儀間光男浦添市長(当時)による移設受け入れ表明だった。これを機に国と県、那覇市、浦添市は「移設協議会」を発足させ、移設や経済振興に関する議論を開始した。