今こそ喜納昌吉① 隣人だった『ハイサイおじさん』の過去

 

 おじさんもこの曲そのものも、元を辿ると沖縄戦の悲劇に起因する。
 「戦後は精神的に異常をきたした人が多くて。畑一つ分離れた近所の人でね。しょっちゅう酒をもらいに来るんだけど、(家族など)大人がいる時には追い返されるから、僕がいる時にだけ来るわけさ。戦争終わって仕事もなくなって、酔いつぶれていたよ」

 喜納少年とおじさんの間に、徐々に交流が生まれていった。「おじさんのこと助けてあげようね」と伝えたその瞬間、一気に曲が出来上がっていったという。「あれは不思議だったよね。その途端に、下から湧いてきたというか上から降ってきたというか。一瞬でできたよ、一瞬で」。その時に使った楽器は三線ではなく、マンドリンだった。1音1音が短い音色には、どことなく共通点がある。

 戦争の傷跡は、おじさんの妻にも及んでいた。同じく精神に異常をきたした妻が、実の娘を殺害し、首を切り落とすという凄惨な事件を起こしてしまう。

戦後の業が、このおじさんに集まっているんだよ」
 明るく楽しげなメロディの裏には、その悲しさも苦しさも内包していた。

「ハイサイおじさん甲子園論争」を語る

 その『ハイサイおじさん』を巡っては、ある議論が巻き起こった。甲子園の沖縄県勢の応援歌の定番となった同曲が「酒飲みのおじさんや遊郭を歌った曲は甲子園の応援に相応しくない」という批判を受けて、一時期演奏が控えられたからだ。

 これに対して喜納は「遊郭がどうこうとか言っているけどね、女の人のことを歌った歌なんかたくさんあるじゃない。そんなこと言っていたら沖縄の民謡は歌えなくなるよ、はっきり言って」と声を大にする。

 喜納はその歌詞や音楽スタイルを巡って、よく批判の対象にもされてきた。77年デビューの「喜納昌吉&チャンプルーズ」は、沖縄民謡にエレキギターなどをロック的な要素を混ぜ込んだことから、民謡関係者らから「面白いけど、文化にはなりえない」「邪道だ」との厳しい評価を受けた。

Print Friendly, PDF & Email
次ページ:
1

2

3

関連記事

おすすめ記事

  1.  サッカーJ3のFC琉球が、第2次金鍾成(キン・ジョンソン)監督体制下の初陣を白星で飾った…
  2. 今季から琉球ゴールデンキングスに加入したアレックス・カーク(左から2人目)やヴィック・ローら=16…
  3.  FC琉球の監督が、また代わった。  サッカーJ3で20チーム中18位に沈む琉球は1…
  4. 戦前に首里城正殿前に設置されていたバスケットボールゴールを再現した首里高校の生徒ら=8月27日、那…
  5.  8月12日、浦添市のアイム・ユニバースてだこホール市民交流室は熱気が渦巻いていた。ステー…
宮古毎日新聞

特集記事

  1. 再びFC琉球の指揮を執ることになり、トレーニング中に選手たちに指示を送る金鍾成監督=19日、東風平…
  2. ヴィック・ロー(中央)の入団会見で記念撮影に応じる琉球ゴールデンキングスの(左から)安永淳一GM、…
  3. 沖縄県庁  沖縄県は、地域の緊張を和らげようと、4月から「地域外交室」を設置し、照屋義実副知…
ページ上部へ戻る ページ下部へ移動 ホームへ戻る 前の記事へ 次の記事へ