今こそ喜納昌吉① 隣人だった『ハイサイおじさん』の過去
- 2021/6/12
- エンタメ・スポーツ
おじさんもこの曲そのものも、元を辿ると沖縄戦の悲劇に起因する。
「戦後は精神的に異常をきたした人が多くて。畑一つ分離れた近所の人でね。しょっちゅう酒をもらいに来るんだけど、(家族など)大人がいる時には追い返されるから、僕がいる時にだけ来るわけさ。戦争終わって仕事もなくなって、酔いつぶれていたよ」
喜納少年とおじさんの間に、徐々に交流が生まれていった。「おじさんのこと助けてあげようね」と伝えたその瞬間、一気に曲が出来上がっていったという。「あれは不思議だったよね。その途端に、下から湧いてきたというか上から降ってきたというか。一瞬でできたよ、一瞬で」。その時に使った楽器は三線ではなく、マンドリンだった。1音1音が短い音色には、どことなく共通点がある。
戦争の傷跡は、おじさんの妻にも及んでいた。同じく精神に異常をきたした妻が、実の娘を殺害し、首を切り落とすという凄惨な事件を起こしてしまう。
「戦後の業が、このおじさんに集まっているんだよ」
明るく楽しげなメロディの裏には、その悲しさも苦しさも内包していた。
「ハイサイおじさん甲子園論争」を語る
その『ハイサイおじさん』を巡っては、ある議論が巻き起こった。甲子園の沖縄県勢の応援歌の定番となった同曲が「酒飲みのおじさんや遊郭を歌った曲は甲子園の応援に相応しくない」という批判を受けて、一時期演奏が控えられたからだ。
これに対して喜納は「遊郭がどうこうとか言っているけどね、女の人のことを歌った歌なんかたくさんあるじゃない。そんなこと言っていたら沖縄の民謡は歌えなくなるよ、はっきり言って」と声を大にする。
喜納はその歌詞や音楽スタイルを巡って、よく批判の対象にもされてきた。77年デビューの「喜納昌吉&チャンプルーズ」は、沖縄民謡にエレキギターなどをロック的な要素を混ぜ込んだことから、民謡関係者らから「面白いけど、文化にはなりえない」「邪道だ」との厳しい評価を受けた。