アートは分断を乗り越えるか 岡本光博展覧会「オキナワ・ステーキ」レビュー
- 2021/2/18
- 社会
美術作家の岡本光博はこれまで本物か偽物かわからないブランドのバッグを解体して作ったバッタの形をした彫刻《バッタもん》や、巨大なカップ焼きそばが地面に突き刺さっている《UFO-unidentified falling object(未確認墜落物体)》など、ユーモアを全面に出しつつ、政治的なメッセージを込めた際どい作品を発表して議論を呼んできた。岡本は2004年から06年にかけて琉球大学の非常勤講師などを勤めながら沖縄を拠点にアーティストとして活動しており、この度東京都新宿区のギャラリーeitoeikoで開催している「オキナワ・ステーキ」展はその頃に制作された作品が展示されている。中でも《赤絨毯》(2006)という作品は当時から沖縄県内で大きな話題となった。いや、「当時から」という表現は正確ではない。実際に話題となったのは発表から半年が過ぎてからだった。詳しい経緯を振り返っておこう。
《赤絨毯》という作品は糸満市摩文仁の「平和の礎」をフロッタージュした紙から構成される。フロッタージュとは、石や金属など硬く、凹凸のある素材の上に紙を置き、それを鉛筆などでこすって模様を浮き上がらせる技法のことで、岡本は「平和の礎」に紙をあて、赤鉛筆で沖縄戦の戦没者名をうつしとった。その制作は2006年4月から10月までかけて行われ、総枚数は1550枚、戦没者名の数は約2万に登る。同年6月23日、沖縄県慰霊の日に岡本はそれまでに制作されていた1015枚を琉球大学の廊下に隙間なく敷き詰めて展示を行った。
本土を守るための「捨て石」となり地上戦で多くの命を失った沖縄の血の歴史を、映画スターや国会議員といった上流階級が華々しく歩く「赤絨毯」に例え、私たちの社会がそれを踏み付けにして成り立っていることを強く意識づけさせる作品となっている。
琉球大学での展示は大きな話題になることはなかった。翌2007年1月になって、沖縄タイムス紙がこの作品を問題視し、紙面で大きく取り上げてやっと県民に知られることとなった。
この時作家が作品に込めたメッセージが十分に紙面で伝えられず、戦没者名を踏み付けにする、というショッキングな内容が一人歩きをして波紋を呼び、「平和の礎」を管理する沖縄県の要望に応え、同作品が後に展示された大阪のギャラリーのウェブサイトから、戦没者名が書かれた作品を足で踏んでいる写真を削除することとなった。