モータースポーツ途上の地・沖縄出身次世代スター、F4制覇確実に!
- 2020/11/9
- エンタメ・スポーツ
沖縄から全国で活躍するレーサーが出る快挙
読谷ククルサーキット代表・一般社団法人チームオキナワ代表理事の翁長達也さんは、沖縄のレース環境を次のように語る。
「沖縄にはそもそも本格的に練習をする場所がありません。野球で例えたら、素振りをする場所はあるんだけど、グラウンドが無いので実戦ができないというような状況です。県外へ大会や練習で遠征するたびに費用も掛かります。それでも、レーシングシミュレーターを使ってコースの特性を頭に入れておくことはできるし、筋力・メンタルトレーニング等できる環境の中で最低限の準備はしていける。いろんな条件を乗り越えて、結果を出したことは凄いと思います」
このような環境から全国で活躍したことは後進にとっても大きな刺激になっている。
「これまでプロレーサーは雲の上の存在でしたが、身近なところで活躍しているレーサーが出たことで、地元の子ども達にとっても希望になっています。沖縄市は、モータースポーツにも利用できる多目的広場を2021年4月から供用開始します。長期ビジョンでは、本格的な国際サーキットの建設計画もあります。活躍しているレーサーの経験が下の世代にも継承できるように、沖縄のレース環境も整えてあげたいです」
一度はレーサー人生を諦めるほどの挫折も
平良選手が競技を始めたのは幼稚園児の時。父親に連れて行ってもらった小さなカート場で乗ったのがきっかけだった。小学生の時から県外のサーキットへ遠征、中学生の時には世界大会へと出場する。
「最初、大きなサーキットで走った時はスケールの違いに圧倒されました。スピードも速い、カーブも多い、コース幅が広いので進むべきラインが分からない。攻略しないといけないことが多くて戸惑いました」
逆境を跳ね返し若くして頭角を現している平良選手だが、決して順風満帆のレーサー人生ではなく、たった数年前までは挫折の連続だった。
プロとして活躍するには、メーカーのレーシングドライバー選考を突破しなくてはならない。各メーカー、毎年1人受かるか受からないかの狭き門だ。
しかし、高2の時に挑戦したHONDAの選考会では、手応えの無いまま終わってしまう。リベンジを誓った高3の夏でのトヨタの選考会では、次点だった。
「レーサーとしての未来は完全に終わったと思いました。あの頃は、歯がゆい思いと、見えない将来で心も病んでいたと思います。未練を断ち切るかのように、目標を切り替えて勉学に励むことにしました」
スタートラインにも立てなかった自分を受け入れた夏。高校を卒業してレーサーとは別の道に進むだろう現実が、秋から冬にかけての寒さのグラデーションと重なるように日に日に濃くなっていく。
そんな中、12月上旬にトヨタから連絡が届く。「富士でクリスマスに行われるテストに来ないか」。突然の打診だった。F4に枠が空き、次点の平良選手にチャンスが再度巡って来たのだ。このテストをパスし、レーシングドライバーの道をしっかりと掴んだ。
「地獄から天国に舞い上がったようでした。最高のクリスマスプレゼントでした。まだレーサーを続けられるんだと思いました」