不発弾爆発事故から50年 聖マタイ幼稚園で慰霊祭

 
子どもたちに事故の悲惨さを語る司祭の高良孝太郎さん=1日、豊見城市の聖マタイ幼稚園

 那覇市小禄にあった聖マタイ幼稚園(座安ゆかり園長)=豊見城市=では、1974年3月2日に発生し、3歳の女児を含む計4人が犠牲となり、34人の重軽症者を出した不発弾爆発事故から50年が経過するのを前に1日、慰霊祭の「礼拝式」を執り行った。同園の園児68人と兄弟園のナザレ幼稚園、マルコ保育園の園児ら計102人が世界の恒久平和を願って祈りを捧(ささ)げた。

 同事故は、聖マタイ幼稚園に隣接した下水道工事の最中、沖縄戦で旧日本軍が敷設した「対重戦車改造型機雷」に工事の杭打ち作業で重機が触れて爆発し、人身被害のほか家屋約80棟が全半壊。約40台の車両にも被害がおよんだ日本復帰後、県内で起きた最大の不発弾爆発事故となっている。

 復帰後2年にも満たない間に発生した同事故は、県内外に大きな衝撃を与える惨事として、沖縄戦の「負の遺産」を象徴する事故として知られるようになった。

聖マタイ幼稚園の園児らが世界の恒久平和を願い祈りを捧げた=1日、豊見城市の同園園舎内

 同園が「平和を祈る日」として定めた同日の礼拝式には、同園の元保育士や教師、職員、保護者らの多くが訪れて、園児らとともに平和を祈念した。

 同園の元園長で、司祭の高良孝太郎さん(75)=伊是名村在住=が、事故当時の悲惨な出来事を子どもたちに話し、「大人になっても人のものを欲しがらないこと、周りの人たちを笑顔にすることが、戦争を無くし平和を実現する」と語った。

 例年は2015年3月に建立された慰霊碑の前で礼拝式は営まれるが、今年は悲しみの小雨が降る中で、屋内での礼拝式となった。

事故当時の様子を記者団に話した元職員の幸地さん(左端)、元教師の松田さん(中央)、現場に居合わせた田島さん(右端)=豊見城市の聖マタイ教会 

 礼拝式後、高良さんは取材に対し「事故の発生を風化させないことが大事だ。沖縄に埋もれる不発弾を除去するのに、この後40~50年かかるといわれている。礼拝式は県内外に平和を発信するという意味を込めて行っている」と述べた。

 また、聖マタイ教会では、当時の事故を目撃した元職員の幸地長昌さん(93)、元教師の松田惠子さん(87)、事故現場に居合わせた田島勝さん(68)の3人が記者団の質問に応えていた。


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