芸術は「確かな希望を与えてくれるもの」 文化芸術を巡る対話、なはーとダイアローグ
- 2022/12/23
- 社会
那覇文化芸術劇場なはーとで、劇場、地域、表現者・アーティスト、そして観客が交流し学び合う「場」を目指すための対話をするシンポジウム「なはーとダイアローグ」が開催された。第2回は「『那覇の文化芸術』、これからどうする?」をテーマに議論を行った。那覇市の文化行政に足りない要素や、なはーとがどうあるべきか、そして市民にとっての文化芸術とは何か、といった話題について様々な意見が交わされた。
登壇したのは今年初当選した知念覚那覇市長、沖縄県立芸術大学美術工芸学部教授の小林純子さん、アーティストで東京藝術大学美術学部准教授の山城知佳子さん。そして那覇市文化協会会長の崎山律子さんも映像で出演した。
待たれ続けている文化行政の専門家
シンポ前半は、登壇者が那覇市の文化芸術について現在考えていることをコメントし、知念市長となはーと企画制作グループ長の林立騎さんが受ける形で進められた。
小林さんは2020年に策定された「那覇市文化芸術基本計画」に触れ、なはーとが「文化芸術の中核」として建設されたこを強調しながら「これからの那覇の文化芸術の拠点としての役割を果たしていってほしいと強く思います」と話した。
こうしたなはーとの位置づけと機能を踏まえた上で、小林さんは行政間での役割分担について「県にはできないことを那覇市としてやってほしい」として、「市民との対話を経て、政策を実施して働きかけて効果を生んでいく。そしてちゃんと結果を見届けるという形で文化行政を展開していってほしいですね」と要望した。
さらに、行政の役割分担にも関連して文化行政の専門家の不在についても言及した。
「文化行政の専門家の常勤がいないのは弱いところだと思います。大学でも、芸術の教育とはどんなものなのかがやっと分かってきた時に担当者が異動してしまう。数年ごとに同じことを繰り返すので、はっきり言って現場は消耗しているんです。文化の専門家を育てていける那覇市にしてもらいたいと思っています」
知念市長は「民間では受けられないような仕事も出てきてる現状は承知しています。専門家をしっかり育てて文化を構築していくことは、我々に与えられたテーマだと考えています」とコメントした。
表現活動が出来る「場」「環境」とは
沖縄でのアーティスト活動について質問された山城さんは「アルバイトをしながら43歳までフリーランスで続けましたが、20~30代はとても厳しかったですね」と振り返り、「『沖縄を出て行かずして世界で対話できる作品を作る』をモットーに作品を作っていたのですが、生活は出来ませんでした」とも付け加えた。
山城さんが20代の頃にはアーティストへの若手支援はなく、ある程度のキャリアと実績がなければ美術館から展示のオファーを得ることが出来なかったので「自腹で個展をしていました」という。芸術活動をする上で、経済的・社会的環境の厳しさに直面せざるを得ない現状があることに触れ、「素晴らしい資質を持っている人がいても、表現を諦めてしまうことがあると思います。小さな場所での表現であっても、それを見る目を持つ専門家が必要です」と話し、ここでも専門家の必要性がトピックになった。
その上で、なはーとや文化芸術を担う施設には「若い人たちがチャレンジしていけるような企画に取り組める『場』であってほしい」と提案した。
また、山城さんは国際通りのフェスティバルビルが建築家の安藤忠雄さんが手掛けた最初期の建築であることや、なはーとの前身でもある那覇市民会館を設計した建築家・金城信吉さんについても言及しながら、空間の中で建築が果たす役割を説明した。
「私たちが今新しいものを生み出すのにも、歴史を振り返りながら今ここにいて那覇市に生きている中で受け取った社会の変化や課題が反映されるんです。その意味で空間は大事だし、建築は“顔”なんじゃないかと思うんですね。建築家がいなくなったとしても、建築自体がメッセージを発していて、感じることができる。そんな空間を大事にしてほしいと思っています」
映像出演した那覇市文化協会の崎山律子さんは、那覇市民会館が建設されたことで多くのイベントが開催されて「那覇の文化が濃くなった」として歴史を振り返りつつ、街に劇場があることの意義について話した。
その上で「文化活動の大きな要は家族や地域、そして人のつながりを生む場所を得ることです。文化の太い幹を次世代につなげることが那覇の魅力になる。市民の皆で一緒に作り上げていきましょう」と呼びかけた。