【歴代知事④】「平和の礎」建立 基地問題を世界に発信した”研究者”知事 4代目・大田昌秀

 

12年ぶりの革新県政 ハチマキや襷は着けず

大田県政の平和行政や女性政策について振り返る元副知事の東門美津子さん=8月、宜野湾市内

 定年まであと1年と迫った1990年、転機が訪れる。3代目知事・西銘順治による保守県政を奪還するため、革新勢力から知事選への出馬を要請された。インフラ整備を積極的に推進する一方で、米軍基地の存在を一定程度容認する西銘県政に対し「沖縄の政情については強く懸念していた」という。

 自著などを通し、研究者として沖縄のあり方を主張している中、沖縄社会大衆党の委員長を務めていた仲本安一から「今の沖縄の状況を考えれば、このまま放置するわけにはいかないので、ぜひとも出馬してほしい。それが、沖縄はかくあるべきだ、とあなたが主張してきた発言に対し、責任を果たすことになる」と説得され、「自らの言論に対しては自ら責任を取るしかない」と革新統一候補として出馬を決意した。

 選挙戦では軍事基地の撤去などによる平和行政、国際交流の拠点都市形成、女性の地位向上、積極的な情報公開などを政策に掲げた。戦時中の兵士のイメージを嫌ってハチマキや襷を付けず、独自のスタイルを徹底。県労協で事務局長を務め、後に県の政策調整官、副知事に就く吉元政矩が革新系の各団体を結び付ける役割を担った。

 結果、沖縄保守政界の”ドン”と称された西銘に30,065票の差を付ける330,982票を獲得して初当選。12年ぶりに革新県政が誕生した。

女性副知事を初登用 全国でも先駆けに

 就任後、大田は早速公約の一つである女性副知事の登用に着手し、当時琉球大学の教授だった尚弘子が就任。女性副知事の誕生は県政初、さらに国内でまだ2例目という先進的な取り組みだった。

 女性の地位向上に心を砕いたのは、「戦時中の筆舌に尽くし難いほどの苦労に加えて、戦後の沖縄の復興を支えたのはまさに女性たちであった。また、急速に高齢化が進む未来の社会的要請に応えるためにも、女性副知事の起用は不可欠だと思われたからだ」との理由からだった。その後、1996年には県女性総合センター(現・県男女共同参画センター、愛称・てぃるる)もつくった。

那覇市西にある沖縄県男女共同参画センター

 尚の後任として1994年3月に副知事に就いた東門美津子さん(79)は「大田先生はお母さん1人に育てられ、女性たちがいかに頑張っているかを小さい頃から見てきた。だからこそ、女性たちの感性を大事にして、政治、行政に生かしたいという思いがあったのだと思います」と推し量る。また「全国に先駆けて女性政策室もつくって、色々な分野で活躍する女性たちが集まっていた。女性たちが県庁を身近に感じられた時だったと思います」と振り返る。

 大田県政によって見出された東門さんはその後、衆議院議員、沖縄市長を歴任し、県内で女性初の国会議員、自治体首長となり、政界においても草分け的存在となった。

「鉄の暴風を平和の波濤に」

沖縄戦などで亡くなった人たちの名前を刻む平和の礎=糸満市摩文仁

 県政の柱となる「平和行政」を具現化した平和の礎の建立は、大田県政最大の功績だろう。

 着想するきっかけの一つとなったのが、学友の名前が刻まれた沖縄師範健児之塔で度々見掛ける光景だった。年老いた女性が塔の前に座り、涙を流しながら戦死した我が子の名前を指でなぞる。戦死した人は遺骨がなく、戸籍などの記録類も戦火で消失した人も多い。慰霊塔に刻まれた氏名だけが、その人がこの世に存在した唯一の証となっていることもある。

 礎には敵味方、国籍、軍人、非軍人問わず、戦没者の名を刻まれ、今も毎年新たな名前が刻銘され続けている。そこには、「たった一行でも、人々がこの世に生きたあかしをここ魔文仁の地にとどめ、そこを訪れる人々が、戦争においては勝者も敗者もなく、ただ無数の人間の貴い血が際限もなく流されるだけだということを、その膨大な死者の名前から読み取っていただきたい」という平和への強い思いが込められている。

 戦後50周年の節目となる1995年の6月23日、慰霊の日。大田は礎の除幕式でこう述べた。

 「平和の礎を建立したのは何よりも平和を大事にし、共生を志向する沖縄の心を世界中に広めるためだ。落成を契機に50年前の鉄の暴風を平和の波濤に変え、この地から温かい平和の息吹が世界へ波及することを心から念願する」

 戦争の悲惨さ、残酷さを五感に刻んだ大田ならではの取り組みだった

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