アジアを股に掛ける災害救助請負人(下)

 

――アジアパシフィック・アライアンス(A-PAD)との出会いは?

「2015年4月に発生したネパール地震で、「台湾路竹会」という海外災害医療支援NGO約80名の一員として支援に赴いていました。最初の1週間はカトマンズ市内で待機していたが、もっと動きたくて四輪駆動車を借りて市内から80㌔離れた震源地の山奥を目指しました。許可を得て村の小学校にテントを張り、医療スタッフを呼び寄せ医療活動を開始しました。1週間経つとピースウィンズ・ジャパン(PWJ)のスタッフが来て、代表の大西健丞さんがたまたま路竹会の劉啓群会長と顔見知りだったこともあり、協定を結ぼうと相成り、日本語の話せる私が通訳を務めたのが始まりです」

台湾ならではの“政治問題”

――その年は台湾でも大きな台風が上陸しましたね。

 「9月下旬に21号が接近していました(注・特に北部に大きな被害をもたらし、全土では1万2000人以上が避難し、死者3人、346人負傷)。ちょうどその時、台湾外交部(外務省)から『PWJと台湾路竹会と協定の詰めの作業で大西さんが来台していて、あなたのことを探している』と電話がありました。

 PWJとしては台湾の受け入れ先を探していて、桃園市の高度救助隊に白羽の矢が立ったのです。桃園市としても断る理由がなく大歓迎です。PWJは救助犬3頭を帯同するので防疫や検疫などの受け入れ態勢を整え、来台が実現することになりました。

 台風21号は勢力を増し各地で被害が出ています。特に台北郊外の烏来がひどく、台北市内のホテルで待機していた私たちは、居ても立っても居られなくなりました。しかし、いくら日本の救助隊が来台しているからといって、おいそれとはいかないのです。PWJチームを被災地に派遣する段になり、台湾ならではの“政治問題”が浮上しました。中国の存在です」

――最も敏感な問題ですね。

「そこで台湾内政部消防署に電話して『視察や調査目的なら構わないのではないか』と尋ねました。あっさりOKが出て、桃園市に出動要請がかかりPWJチームと共に現地に赴きました。路面崩落や崖崩れを避けながらの行軍です。PWJチームの活躍は目覚ましく、救助犬が生存者を見つけ出すと保護して迅速に搬送し、多くの命を助けることができました」

――そこで大西さんから日本への誘いが?

「18歳から災害援助に関わり民間レスキューでも経験を積んできたけれど、まだまだプロとは言えません。国士舘大で防災対策を学びたいと言うと、大西氏は『PWJは東京にも事務所があるからぜひ来てくれないか』と」

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