個人で収集2万点 民俗資料博物館「物で後世に歴史を」

 

「頭のおかしいおじさん」と呼ばれ

 現在は2万点を超える展示数を誇っている民俗資料博物館。しかし収集を初めた頃は、まず何をどうしていいのか分からず、暗中模索の日々だったという。

「初めは近隣のお家を回って探したが、古い物を持っていて、それを譲ってくれるところが50件回って1つあるかないか。これではいつまで経っても(博物館をする規模まで)集まらないので、沖縄各地で行われていたフリーマーケットに毎週末足を運んだ。何かしら『生活に関わる物』があれば片っ端から買っていた」

 とにかく、一般の人の感覚では「どうしてこんなものまで?」と思えるほどいろんなものを買っていった。いつしかこんな噂までされるように。

「どんな物でも買っていく頭のおかしいおじさんがいる」

 それほど足しげく通ったフリーマーケットは、各ジャンルのコレクターとの出会いの場にもなった。このつながりが、民俗資料博物館のアイテム集めに、今も活きている。

「物を集めるにあたり、各ジャンルのコレクターがいる。初めはライバルだったが、時間が経つにつれ情報交換をする仲になり、現在では彼らのおかげで貴重なものを手に入れることができる。人を知らないと(繋がりがないと)物は集められない」

 現在では、数人に電話すれば彼らのネットワークを介して、欲しかった物がだいたい見つかるという。

1億円超費やす原動力 品の説明「まだ3分の1」

 今まで費やした額を聞いてみた。
「億は超えるはず。土地や退職金、財形貯蓄など、全てをつぎ込んだ」

 費やしたのはお金だけではない。博物館の建物を建てる労力そのものもだ。
 当初、集めた物にブルーシートをかぶせて置いていたが、物が増えるにつれて徐々に置き場所がなくなってきた。加えて、湿気により保存状態が悪化していった。

 眞嘉比館長は、そのための建物を建てることにした。「限られた予算はモノを買うのに使うため、建物は大工を雇わずほぼ全てをひとりで作った。土日はモノを集めて、平日は建物を作る。そういう生活を続けた」

 「高齢者は、中年の人に(昔のことや戦争の)話を伝えている。今度は中年の人が若者に話を伝える番。この話を伝えるには(仲介するための)実物がないといけない」。そう話す眞嘉比館長。「後世に歴史を伝えたい」の一心で、物を集めるだけでなくそれらを説明する展示文を、一つ一つ作っている。歴史やルーツを探る膨大な作業だ。

 「現在も毎日24時まで説明書作りに励んでいるが、まだ全体の3分の1ほどしか終えていない。新しいものは次々と出てくる。ひとりではとても間に合わない」

 それでも、多くの人に見てもらい、歴史を知ってもらうために、眞嘉比館長は今日も博物館を進化させ続けている。

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