「パリ五輪で4大会連続のメダルを」 ”重量挙げ大国”沖縄の女子の先駆者 平良真理さんが代表監督に

 
重量挙げ女子日本代表監督の平良真理さん=国頭村のくいなエコ・スポレク公園

 2000年のシドニー五輪で、県勢女子初の重量挙げ日本代表に選ばれた高校教諭の平良真理さん(46)が今年4月、重量挙げ女子日本代表の監督に就任した。

 日本女子は12年のロンドン五輪から3大会連続でメダルを獲得している。「2年後のパリ五輪に最大枠の3人で挑み、4大会連続のメダルを獲得したいです」。”重量挙げ大国”沖縄における女子の先駆者が、今度は日本女子全体を引っ張る。

沖縄県勢女子初の入賞 シドニー五輪7位

メモを取りながら練習を見詰める平良真理さん(左奥)

 沖縄尚学高校時代に重量挙げを始めた平良さん。高校3年時にアジア選手権に出場するなど、若くして頭角を表した。

 日本体育大学で実績を積み、その後も競技を継続するために自衛隊体育学校へ。2000年のシドニー五輪で女子重量挙げが初めて正式種目となり、日本代表として女子53キロ級に出場して7位入賞を果たした。

 重量挙げは沖縄の”お家芸”とされ、これまで県勢の競技別では断トツで多い7人のオリンピアンを生み出してきた。平良さんは重量挙げの女子選手として初めてオリンピックの舞台を踏み、全競技を通じて県勢女子選手の五輪入賞も初めてだった。

 その後は高校教諭として多くの名選手を育て、2016年リオデジャネイロ五輪と昨夏の東京五輪では日本代表選手団にコーチとして帯同した。

県勢から刺激 選手にもっと寄り添う

くいなエコ・スポレク公園の合宿所に飾られている東京五輪の記念皿。平良真理さん(上段左から3人目)、宮本昌典(下段左から5人目)、糸数陽一(同7人目)の名前がある

 これまでも女子日本代表監督就任の打診はあったが、今回決断するきっかけとなったのは東京五輪での経験だという。県勢である男子61キロ級の糸数陽一と73キロ級の宮本昌典はいずれも教え子。糸数は4位、宮本は7位と入賞を果たしたものの、惜しくもメダルには届かなかった。

 「宮本や糸数の頑張りを見て、もっと選手たちと一緒に戦いたいと思いました。女子59キロ級の安藤美希子選手は銅を獲得して、日本女子は3大会連続でメダルを取り、いろいろ考えた。やっぱり、指導者としてこのままではいけないなと感じました」

 現役の高校教諭のため、これまで代表チームに帯同できるのは大会前の合宿や大会中のみというケースがほとんどだった。「もっとできることがあるんじゃないか」。歯痒さを抱えていた。

補助をしながら選手のフォームを確認する

 「選手たちは強化合宿で練習したり、いろんな壁にぶつかったりして、つらい経験を乗り越えながら成長していく。一緒に生活し、お互いの事を知りながらやっていくことが大事だと感じました」。もっと選手に寄り添い、力になりたいという思いが強くなっていった。

 3月まで勤めていた嘉手納高校ではウエイトリフティング部を立ち上げ、監督である自身を慕ってくれる生徒も多くいた。代表監督に専念するため、3年間は休職扱いとなる。

 「(代表監督就任は)自分のワガママかな」と悩んだ時期もあったが、「自分にしかできないことを見せることも指導の一つかなと思って」と新たな道へ踏み出すことを決意。生徒から「自分達も代表選手になれるように頑張るので、先生も頑張ってください」などとエールをもらい、強く背中を押してもらった。

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