北部基幹病院の基本合意まで 県の担当だった経験から③

 
県立北部病院 沖縄ニュースネット
県立北部病院

 前回お話ししたように、県立病院改革がかなわず挫折感を持ったまま県庁を去ることになると思っていた。しかし、宮城良充中部病院長からの予期しない提案を受け、俄然やる気が湧いてきた。(前回の記事はこちらhttps://okinawanewsnet.jp/?p=1350

 真っ先に行うべきこととして、北部地区選出の4人の県議に説明し協力を得ることが必要と考えた。名護市の小さな居酒屋に来ていただくことにした。3人の県議は約束の時間に来られた。しかし、組合からの強い支援を受けている一人の県議は時間になってもなかなか姿を見せない。イライラして待つこと30分やっと姿を見せた。

 全員そろったところで私が司会を務めて会を進行することとなった。まず宮城先生から北部の医療の現状について説明していただいた。そして北部に存在する二つの急性期病院(県立北部病院と北部地区医師会病院)を統合し新たな北部基幹病院が必要である。約15分程度で彼の構想の概要が説明された。

 遅れてきた県議は説明の途中から明らかに不快な表情に変わりずっとそっぽを向いていた。そして説明が終わると「県立病院をなくすることになる話に参加する時間は私には無い。私はオスプレイ問題で忙しいんだ!」。そう言って出て行った。

 残された私たちは予期していたこととはいえ、白けてしまった。40年近くも県立病院で県民のために頑張ってきた先生への礼を失した態度は極めて残念であった。

 しかし、残った3人の県議からは「県議にはいろんな立場があるから気にしないで」と慰められた。彼らとは会食しながら構想について突っ込んだ話し合いができた。これが構想実現に向けた最初の活動であった。予想通り県立病院の組合関係は絶対反対をつらぬくということだ。そういうことがはっきりし私としてはむしろ闘志が湧いてきた。

 県議への説明の後は市町村長への説明が大切であると考えた。その説明は宮城氏の後任で新しく中部病院長となった本竹秀光氏と一緒に行った。彼は大学の後輩で気軽に話し合える中であった。また、当時の沖縄県医師会の会長は宮城信雄先生で、大学の先輩であった。そういった人間のつながりも事を成し遂げるためには大切な要素であった。

 市町村長の中でも当時の稲嶺進名護市長と北部12市町村長会会長の高良文雄本部町はキーパーソンと考え何度も意見交換の機会をもった。お二人ともこの案件には賛意を示していただいた。特に高良町長はこれまでの私たちの活動を終始積極的に支えていただいた。稲嶺市長も個人的には賛成であったと確信しているが、彼の支持者の一部は根強く反対していて、むしろ県立病院の強化を主張していた。そのため賛否を明確にしない消極的姿勢に感じられた。

 首長の皆さんの全員の支持は大した問題もなく得られた。さらに議長会への説明、議員有志へのお願いも積極的に行った。また女性の会や老人会等の市民団体への説明、全国の先進事例紹介の講演会も行った。そういった方々の理解を得るのは予想していたより容易であった。というのも県立北部病院の医師の退職が相次ぎ、その補充ができないため診療制限が相次いでいたからである。

 大方の理解は得られたが、一部に医師会病院の借金問題のためにそういった社会運動をやっているのではといった問題の本質とは無関係の疑念を主張する方もおられた。そのため医師会病院の経営健全化も重要な課題となった。諸喜田院長が先頭に立って経営改革に取り組んだ。私の方からは公的諸制度を紹介し毎年約一億円の公的支援が得られるようになった。また、公益社団法人化も行われた。そういったことが相まって金融機関の信用が一気に回復し資金繰りも改善でき一部の人の疑念をはじき返すことができた。

北部地区医師会病院 沖縄ニュースネット
北部地区医師会病院

 地元での活動を地道に行っていいたが、平成26年には県政が翁長知事に変わると、県政への組合の影響がさらに強まり全く進展が得られない状況に陥った。

 そんななか、平成29年3月に高良文雄本部町長から署名活動と住民大会の提言があり、医師会としても最大限の活動を行った。短期間のうちに11万筆の署名を集めることができた。署名活動が目標を大きく上回り3月25日には数千人が参加した住民大会を行い北部基幹病院設立の大会決議を満場一致で決定した。それをもって知事及び県議会に要請した。そのことでやっと翁長知事も北部基幹病院に取り組むことを表明した。

 住民大会は大成功であった。その時のエピソードであるが、偶然にも高良町長に癌がみつかり手術を行わなければならなくなった。手術は北部医師会病院で無事に終わった。住民大会は予定通り行われた。実行委員長として高良町長は入院中の病室から会場に駆けつけ迫力ある演説を行った。その時のことはいつの日か機会が得られれば紹介したい。また、全く余分な事であったが北部基幹病院の活動を行ってきたため私自身が名護市長選挙に巻き込まれる出来事もあった。

 大まか以上の経緯があり7月28日に県知事、病院事業局長、北部12市町村会、北部医師会長の4者で北部基幹病院の基本合意への署名がなされた。この合意で県と12市町村が事業組合をつくり運営する新たな公立病院が令和7年にできる計画となった。

 合意書案づくりには県庁砂川靖部長の頑張りも大きかった。彼は私と共に県立病院経営改革に取り組んだ仲である。前回の記事でテーブルをたたいたと県議から非難されたのも彼である。おそらくその時の悔しさと県民の財産である県立病院がこのままではいけないといった強い気持ちが今回の頑張になったのだと思われる。いずれにしろ、これからは今まで以上に頑張り住民の期待に応えられる病院を造らないといけないと改めて心を引き締めているところである。

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宮里 達也

宮里 達也

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沖縄県医師会副会長。
1978年大阪大学医学部卒業後、琉球大学医学部産婦人科教室助手を経て宮古保健所を皮切りに県内各保健所に勤務。沖縄県保健福祉部保健衛生統括官、保健福祉部長、北部福祉保健所長を歴任。2014年に県を退職後、北部地区医師会病院に入職。

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