依存症リハビリ施設「沖縄ダルク」で更生。人生を学び、独立へ

 

 「僕にとって、暴力を振るわれない日は、非日常だった」

 幼い頃からほぼ毎日のように父親の暴力に悩まされていたと語るのは、東京都出身の荻野 徹(おぎの とおる)さん。荻野さんは、父親の暴力に悩み、薬物依存に陥った後、沖縄の依存症リハビリ施設「沖縄ダルク」入園をきっかけに沖縄移住を果たし、今年パーソナルジムを開業した。

 当時を振り返り「あの時薬物がなかったら死んでいたかもしれない」と話す荻野さんは薬物にすがり、すがった以上に苦しめられ、そして全てを乗り越えた今も「今日、薬物に手を出さない」選択を毎日し続けている。

 およそ20年もの年月、薬物依存に苦しみ抜いた荻野さんが語る薬物依存の恐ろしさと「沖縄ダルク」の存在、依存症から立ち直った先の人生を取材した。

薬物依存のきっかけは、覚せい剤でも合成麻薬でもなく「咳止め薬」

提供写真:現在の荻野さん

 取材を通して、わたしは前提から知識が偏っていたことを知った。

 荻野さんが薬物依存に陥ったのは、よく耳にする覚せい剤や合成麻薬ではなかった。ドラッグストアなどで販売される、市販の咳止め液「ブロン液」だったのだ。

 ブロン液は、もちろん既定の量を飲めば通常の咳止めとしての役割を果たすのだが、1本丸々、もとい大量に飲むことで「トリップできる」覚醒剤のような効果がある。感覚を尋ねると「嫌なことすべて忘れることができ、無敵感と幸福感で満たされる」そうだ。

 荻野さんが初めて手を出したのは、大学受験に失敗し、二浪目を迎えた頃だった。当時通っていたジムのトレーナーに「ブロン液を一気飲みすると勉強がはかどる」と勧められ、市販薬であったことと一流大学に通うトレーナーからの助言だったことで、何の疑いもなくブロン液を一気飲みした。

 当時荻野さんは大学受験の失敗や恋人との別れ、暴力を振るう父親が会社を辞めて家にいる時間が長くなったことなど、様々なストレスを抱えていた。それ故に、まるで導かれるようにブロン液が持つ幸福感に惹かれていった。市販されているという安心感から罪悪感も感じることなく、毎日飲むようになった。

 のちに荻野さんは沖縄ダルクで「依存症の6割は、覚せい剤や合成麻薬ではなく“市販薬と処方によるもの”」だと知ることとなる。

薬物依存。ある事件をきっかけに克服を決意

 その後もブロン液を飲み続け、次第に量が増えていった。服用2~3年が経過する頃には完全なる依存症となり、震えや対人恐怖症などの離脱症状に苦しむようになった。

 みるみるうちに離脱症状は悪化し、人が捕まえに来る妄想などが出始めた。気付けば家から一歩も出られなくなり、ひどいときは心臓が苦しくて歩けない状態にまで陥った。荻野さんはその時すでに、30歳を迎えていた。

 薬物依存により人生は下っていく一方だった。それに追い打ちをかけるように、荻野さんはある事件を起こしてしまう。

 その日、大きなストレスから荻野さんは睡眠薬を大量に服用し、それでも眠れずbarに足を運んだ。睡眠薬とアルコールの同時服用は危険だということはご存じの方も多いだろう。荻野さんはbarで酔っ払った後、ふらつきながらコンビニに足を運んだ。コンビニに入った瞬間、蛍光灯の明るさに意識が朦朧とした荻野さんは、気付けば漫画やお菓子など数点を持ったまま、ふらふらと店を出ようとしていた。更に、万引きに気付き追いかけてきた店員に対し、暴行を加えてしまったのだった。

 暴行により「強盗事件」として逮捕された荻野さんは、約5年間の懲役刑となった。事件を犯してしまった罪の意識と警察官の勧めにより、退所後は更生施設に入ることを決意。そこで知ったのが「沖縄ダルク」だった。

沖縄ダルク入所。出たり入ったりを繰り返し、円満退園へ

提供写真:ダルクでは、薬を辞めて1年ごとに皆でお祝いする習慣があるそう

 出所後、荻野さんはすぐ沖縄ダルクに入園した。沖縄ダルクでは「薬物依存は心の問題」として、訓練が行われた。

 具体例として、例えば「嘘をつかないこと」「嘘をついてしまったときに重く受け止めすぎないこと」の訓練があった。薬物に依存してしまうと、薬を服用するために平気で嘘をつくようになるらしい。厄介なのは嘘をついた後、通常の何十倍もの罪悪感に襲われてしまうことだった。依存症を抱える多くの人は、そのやましさに耐えられなくなり、また薬を服用してしまうのだそうだ。

 沖縄ダルクでの治療は、こういった「前提」のリハビリから始まる。まず嘘をついた時のやましさを小さくする訓練だ。訓練は入園した人同士で行われ、相手の立場にたって考えることで「やましさ(罪悪感)を肥大化する」のではなく「きちんと謝る」ことができるようになるというものだった。

 沖縄ダルクは、そんな「心の在り方」「人生の作り方」を教えてくれる場所だった。そして訓練により、荻野さんは数年かけて、出たり入ったりを繰り返したのちに円満退園を果たした。

 だが、沖縄ダルクの外の世界はやはり、過酷だった。

元薬物依存者というレッテル

 沖縄ダルクでは、同じ苦しみを持つ者同士が助け合いながら「今日、薬物に手を出さない選択」をし続けることができる。だが外に出ると、「元薬物依存者」に向けられる目は残酷だった。

 荻野さんは退園後、パーソナルジムの会社に入社するものの、そこは超がつくほどブラック企業だった。朝9時に出社して夜23時頃まで仕事。月の休みは3日程度で、残業代を支払ってくれたのは最初の数か月だけだった。

 荻野さんは退職する際に、労働組合を通じて企業に対して残業代を請求した。(当時の労働組合の計算によると100万円を超える金額だった)

 だが企業は訴えを受け入れないばかりか、弁護士を雇い「元薬物依存者の発言は信用できないから払えない」と言ってきた。タイムカードに記録が残っていたにも関わらず「ほとんどが休憩時間だ」という無茶苦茶な理屈をつけて、だ。

 そして、遠回しに「訴訟を取り下げなければ、あなたが元薬物依存者だということを世間に公表する」という脅しもかけてきた。

 「これに屈してしまったら、前に進めないんじゃないか」

 そう思った荻野さんは、弁護士を雇い、徹底的に戦った。その訴訟は最近まで行われ、最近、無事勝利した。

2020年開業。「依存者復帰の手助けになりたい」

提供写真:パーソナルジム「スタイリッシュ」

 荻野さんは今年1月、自身のパーソナルジム「スタイリッシュ」を開業した。開業の背景には、ブラック企業への憤りと、元薬物依存者の社会復帰の難しさがあった。

 荻野さんは沖縄ダルクを退園後、一度依存に陥ってしまい、沖縄ダルクに戻ったことがあった。その後何年もかけて克服に至ったが、今は再依存を防ぐため「風邪薬すら気軽に飲めない」緊張感を持って過ごしている。

 沖縄ダルクは、同じ苦しみを持つ仲間と共に、依存症と戦う場所だ。だがその場所から一歩外に出ると、たちまち差別や偏見と戦うことを強いられ、孤独に陥ってしまう。

 荻野さんは“中と外”をこう表現する。「沖縄ダルクが動物園だとしたら、外の世界はサバンナ」

 元依存者がダルクから出た時は、とてももろい状態なのだという。依存症は不治の病と言われており、感知するということはないから薬を辞め続けるしか道がないのだそうだ。「スタイリッシュ」は、荻野さんの居場所であると同時に、”サバンナ”に出たばかりの元依存者にとって、社会復帰第一歩の働き場所にしたいと話した。

 依存症は病気。薬物を辞めたいと思い、前を向いて頑張っている人はたくさんいる。そんな人に対する差別をなくしていきたい、そして依存者であっても、しっかりと更生できれば人様の役に立てることを世間に照明していきたいと、力強く語った。

これからの人生を生きるために

提供写真:現在はラジオのパーソナリティも務めている

 荻野さんは、苦しんでた時は“なんでこんな人生なんだろう”と思っていた。何十年もの間、父親から逃げ回るばかりの苦しみしかない人生だった。

 だけど今は「それも自分の人生を生きる過程だった」と考えられるようになったと話す。長い間父親を恨みながら生きてきた荻野さんは、沖縄ダルクのカウンセリングによって、やっと親を許すことができたそうだ。思い出すたび、般若のような顔しか浮かばなかった父親の顔が、「彼も生きることに苦しんでいた」と思うことができた時、優しい顔に変わったのだそうだ。

 そしてその時初めて思ったのだそうだ。「僕は愛されていた」と。

 荻野さんは、親に愛されていたと感じ、また自身が親を愛することができて初めて、自分自身を愛することができるようになったと、涙ながらに語ってくれた。

 そして2年前、荻野さんは沖縄の女性と結婚したそうだ。今後は、依存症克服に導いてくれたここ沖縄で、幸せな家庭を築いていきたいと笑顔で話してくれた。

 スタイリッシュ公式HPはこちら

 https://peraichi.com/landing_pages/view/49asb

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三好 優実

三好 優実

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香川県出身・沖縄移住歴6年目のフリーランス編集者・ライター。主に沖縄県内の観光・グルメ・経済について執筆。シリーズ本「香川県あるある」の著者。

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