昭和世代は思わず反応してしまう?「海洋博」を振り返る
- 2022/1/22
- 社会
本部沖に接岸した未来の海上都市
沖縄国際海洋博覧会で最も人目をさらったのはやはり「未来海上都市・アクアポリス」だろう。
当時の最先端科学技術を集結させ、海の上でも人間が生活出来ることを証明するパビリオンで、人と海の明るい未来を想像させてくれるものだった。最大の特徴は、アクアポリス自体が海の上に浮かぶ島のような半浮遊式海洋構造物だったことだ。「ロワーハル」と呼ばれる楕円形の巨大な浮きの上に16本の支柱を立て、その上に多目的平面デッキを搭載させて常時浮かせていたのだ。
アクアポリス本体は広島の造船所で造られ、完成後に本部の沖合まで116時間かけて海上をタグボートで曳航してきたという。浮遊式の採用には、海底を傷付けず自然破壊にならないようにとの計らいもあった。
アクアポリスと陸地会場までは250mほどの桟橋「アクア大橋」で繋がれ、台風時などには橋からアクアポリスを切り離せる構造になっていた。沖合へ移動させロワーハルに海水を注入することで海中へ潜る部分をより多くし、波や強風の影響を最小限に抑えることができた。
アクアポリス内部には様々なアトラクションや深海魚などのオブジェが設置されており、海底内をさまよえるような擬似感覚を楽しめた。こちらのプロデューサーは手塚治虫だったというのだから、未来感に溢れたストーリー性も納得だ。
アクアポリスが残る場所
沖縄国際海洋博覧会閉幕後、大規模な会場跡地はいくつかのパビリオンを引き続き運営する形で国営沖縄海洋博公園となり、博覧会のシンボルとされたアクアポリスも国営公園のオープンに合わせて再オープンとなった。
1980年頃までは沖縄を代表する観光スポットとして人気を博すものの、構造物の老朽化や入場者数の減少により1993年に閉館された。1997年には、那覇沖へ移動させて海上観光テーマパークとしてリニューアルの検討もされていたが叶わず、2000年ついにアメリカの企業へ鉄屑としての売却が決定。同年上海へと曳航されていったのだ。
もうあのアクアポリスには会えないのかと思ってしまうだろうが、実は公園内に残る唯一の博覧会時パビリオン「海洋文化館」にて、アクアポリスの小型模型を現在でも見学することができる。(いつまで展示するかは未定だという)
また、公園内の「夕陽の広場」近くにある大型遊具は往年のアクアポリスをオマージュしていることが一目瞭然だ。その名も「アクアタウン」。
さらに熱帯ドリームセンターの頂上から海を見渡すと、海の中に得体の知れぬ人工物を見つけることができる。これは間違いなくアクアポリスの名残であろう。
懐かしい気分とワクワク感を呼び覚ましてくれる「隠れた海洋博の楽しみ」を味わってみてはいかがだろう。