島民の熱意が架けた海の道 「海中道路」を巡る物語

 
マーラン船を模した「あやはし館」。資料館も併設され、海中道路の歴史も学べる

渋滞解消と環境配慮で改良

 しかし現在我々が渡っている海中道路は、この時に造られたものではなく、1999年に大規模改修された新しい道路である。

 1972年にようやく繋がった海中道路だが、当時は片道1車線ずつの対面通行。路肩に電柱が林立する中、海水浴や海の景色を楽しむ人々の路上駐車により慢性的な交通渋滞が発生していた。また、海を一直線に埋め立て流れを遮ってしまったことで潮流が悪くなり、水質汚染の問題も深刻化していた。

 そこで1991年から道路改良工事が始まり、1999年に現在の形の海中道路が開通したのだ。新しくなった海中道路は片道2車線の4車線でゆとりが生まれ、電線も地中化した。中間地点にはロードパーク、大型駐車場、海中道路資料館が併設された道の駅「あやはし館」も設置された。

 また潮流および船舶航路確保のため道路途中に大型水路を二ヶ所浚渫(しゅんせつ)し、その水路上空に橋を掛けたのだ。

海中道路のシンボルである赤い大きな吊り橋「平安座海中大橋」は、船舶航行のためだけではなく自然保護を目的とした潮流確保のためでもあったのである。

平安座海中大橋

 もう一つの橋にはあまり気付かないかもしれないが、平安座島側にも「よあけ橋」が掛かっており、その下には深い水路を見ることができる。

 現在では平安座島から宮城島、宮城島からその先の伊計島まで、加えて平安座島からは浜比嘉島にも車で渡れるようになっている。各島々の歴史観光スポットを堪能することも、島民の日常生活の行き来も日帰りでできるようになった。

 しかし、たった50年前までは島まで徒歩や水上バスで渡っていたこと、悲願の道路接続のために大切な島の土地を貸与した過去があったということも忘れずに海中道路を渡ってもらいたいと思う。

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