「玉城知事のコロナ対応は失敗。現実を直視して」 赤嶺昇沖縄県議会議長インタビュー

 
赤嶺昇沖縄県議会議長


「率直に言うと、玉城デニー知事のコロナ対応は失敗に他なりません」

 そう厳しく批判するのは、沖縄県議会の赤嶺昇議長だ。もとは玉城デニー知事を支える与党会派「おきなわ」のメンバーであり、オール沖縄の中心のひとりでもあったはずの赤嶺議長がなぜ玉城知事を批判する側となったのか。HUB沖縄のインタビューにその考えを詳しく語った。

玉城知事には決断がない

―――玉城知事のコロナ対応を批判するのはなぜですか?

 ここまで沖縄県でコロナの感染が拡大したのは、玉城県政による人災だと思うからです。人口10万人あたりの感染率でかなりの期間にわたって全国ワーストが続き、リーディング産業の観光業をはじめ沖縄県の経済に壊滅的な打撃をもたらしましたが、これは玉城県政の後手後手の対応が招いたものです。

 沖縄県は離島県です。他府県とは海を隔てており陸路はありませんから、県外からやって来ようと思えば、飛行機で来なくてはなりません。ということは、空港でしっかり対応を取っていれば、そこでコロナウイルスの流入を防ぐことができたはずです。

 その意味では、他府県に比べて対策が打ち易かったはずです。実際、例えば、台湾は早期に水際対策を徹底したので、感染者の数をかなり抑え込むのに成功しましたよね。わたしは、去年から台湾を見習って対応すべきだと県に提案していましたが、ずるずると対応が遅れるばかりでした。なぜそうなるのか。要するに玉城知事には決断がないのです。これは緊急時の対応として、失格であるというより他ありません。

 幸いにも、沖縄県では爆発的に感染が拡大した一方で、死者数は比較的少なく抑え込むことができました。でも、これは県の手柄ではありません。琉球大学附属病院や県立病院、民間病院や医師会と、県内の医療関係者が非常に頑張ってくれたおかげです。これには心から感謝したいと思います。

 9月に入り、沖縄でも感染者の数が減少に転じましたが、これはワクチンの接種率が上昇したからです。県がなにかしたというよりも、ワクチン確保に尽力した菅義偉政権の実績だと言っていいでしょう。

―――今年5月には県議会の自民党会派や公明党会派とともに、玉城知事が県のコロナ対策本部長から交代するよう求める要望書を提出しました。

 はい。私たちは対策本部長に玉城知事ではなく、副知事がなるように要望しました。コロナ対応では担当部長である大城玲子保健医療部長が奮闘し、謝花喜一郎副知事も堅実な行政対応をしてきました。ただ、この間、知事のリーダーシップがまるで見えませんでした。実質的には副知事や県職員が対応にあたってきたと言ってもいい。それなら、対策本部長は副知事がやったほうがスピーディーな対応ができるのではないでしょうか。

 沖縄県には他にも大きな懸案があります。例えば、次期沖縄振興計画は来年3月までに取りまとめなくてはなりません。知事にはいっそそちらをやってもらい役割分担をしたほうが良いと思います。

軍港の浦添移設反対はオール沖縄の本来の理念と違う

―――玉城知事に厳しい立場ですが、自らはオール沖縄のメンバーの一人として2018年の県知事選挙では、玉城知事を支援していたのでは?

 私が玉城知事を支援する立場にあったのは前回の知事選だけではありません。かつて玉城知事が衆議院議員だった頃には衆院選で玉城陣営の事務総長をやったこともあります。確かに衆議院議員としては期待していました。ただ、何人もいる議員のひとりだった時にはそう問題がなくとも、知事ともなると、トップリーダーとしての能力が問われるわけです。決断力がないということは知事としての資質が欠けているということになります。

 沖縄をどこに導きたいのか、政府との関係をどうしたいのか、この点でも全く見えません。コロナ対応は県民の命と暮らしがかかっているだけに、対応のまずさは決して看過できないと言えます。

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玉城デニー知事 写真:宮古毎日新聞社提供

 玉城知事とは考え方が決定的に違うと確信したのは、今年2月の浦添市長選の時です。この選挙で玉城知事は、共産党の市議会議員だった女性候補の応援演説に駆けつけました。彼女は那覇軍港の浦添移設に反対することを公約に掲げていましたが、これはオール沖縄の本来の主張とはかけ離れたものです。

 私は翁長雄志さんが当選した2014年の知事選で翁長陣営の政策委員長をやり、翁長さんの公約づくりを担当しました。ご存知の通り、私たちは米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対をする立場でしたが、那覇軍港の浦添移設について翁長さんに「どうしますか?」と聞くと、翁長さんは「辺野古には反対するけれども那覇軍港まで一緒くたにしてはいけない」との答えでした。那覇市長を務めた翁長さんは軍港の移設にずっと取り組んでいましたからね。翁長さんのそうした思いを受けて、オール沖縄に参加した各党派で話し合い、これを了解したのです。

 それなのに、翁長さんの後継のはずの玉城知事は、私たちにひと言の相談もなく、軍港移設に反対する候補のためにマイクを握りました。こんな大切なことをなし崩し的に反故にされては、なんのための約束だったのか分かりません。浦添での知事の応援演説の翌日、私は自分の会派のメンバーに「玉城知事との信頼関係は崩壊した」と伝えました。

オール沖縄から保守の部分が抜けた

―――先日には、経済界からオール沖縄を支えていた金秀グループの呉屋守將会長が「オール沖縄は左右の両翼のバランスを失い片肺飛行に陥りつつある」と指摘して自民支持を表明しました。

 金秀の呉屋会長は相当な覚悟で決断されたのだと思います。
 オール沖縄は革新から保守まで幅広く結集した勢力であり、保守中道である私たち会派おきなわも参加しました。でも、いまやオール沖縄からは保守の部分が抜けてしまい、革新共闘とも言うべきなのが実態です。そこでは、呉屋会長も指摘した通り、敢えて名指ししませんが、一部の特定の政党の意向が非常に強く反映されるようになりました。

 かつて翁長さんは、考え方の違いはあっても「腹六分、腹八分」でオール沖縄に結集しようと呼びかけたのに、気づけばこの特定の政党ばかりがお腹いっぱいになっています。もはや翁長さんが呼びかけた当時の理念からかけ離れてしまったと言えます。

―――今年9月には会派おきなわから離脱し、無所属となりました。

 会派おきなわは、かつては9人もいた会派で、それぞれの議員がはっきりとした物言いをするのが持ち味でした。

 私は玉城県政やオール沖縄のあり方に疑問を覚えるようになったため、昨年の県議会選挙では、玉城知事やオール沖縄からの為書きをもらうことを断わりました。玉城知事を支えるためではなく、全ては県民のためという私の政治姿勢を後援会にもしっかり説明しました。

 その後、県議会の議長となり、一年が経過しました。同じ会派の議員にもそれぞれ後援会の事情があり、迷惑がかかる部分もあるので、このタイミングで会派を離脱し、オール沖縄からも離れることにしたのです。

沖縄県議会
沖縄県議会

政治家は理想論を説くだけではダメ

―――今でも辺野古移設には反対の立場ですか?

 はい。基本的には今も反対です。2019年に行われた辺野古の埋め立ての是非を問う県民投票や、あるいは2014年や2018年の知事選でも民意は示されていると思います。

 ただ、では普天間飛行場はそのままでいいかと言えば、そうはなりません。宜野湾市のど真ん中にあり、「世界一危険」とも言われるように、いつ重大事故が起きるやも知れません。

 沖縄県民は米軍基地に特別な感情を持っています。本当は基地がないのが良いとの思いは、保守も革新もないはずです。

 でも、政治家は理想論を説くだけではダメだと思うのです。玉城知事は辺野古移設に反対していますが、実際には埋め立て工事を止め切れていません。むしろ、歴代知事のなかでも誰の県政で埋め立て工事が最も進んだかと言えば、結果として、それは玉城県政です。

 どうすれば、現実を直視して県民の暮らしを守っていけるのか。今月の衆議院選挙でもそこが問われているのではないでしょうか。

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