「銘苅の湿地」に込められた住民の思い マチナトハウジングシリーズ②
- 2021/5/19
- 社会
前回のシリーズ①では、アメリカ軍マチナトハウジングの広大さについて取り上げた。その土地の中には、返還と同時に戻ってきた史跡も多くあった。
銘苅は地域のほぼ全域が軍に接収され、その中には琉球史における重要な聖域も含まれていたので、返還後の聖域管理について調べてみた。
返還後の新しい銘苅まちづくり
銘苅といえば、最近まで那覇市銘苅庁舎があったので、新都心の中心部というイメージも強いかと思う。しかし戦前はあたり一面農村地だった。戦後は安謝川に沿うように土地を摂取されることになるのだが、ハウジング時代の興味深い名残を見つけることができる。
安岡中学校の校舎裏に一本のガジュマルの老木があり、現在ガジュマル公園として整備されている。実はこのガジュマル、ハウジング時代の写真ではフェンスの中に確認することができるのだ。この木を残すため、地主で結成した那覇新都心地主協議会の尽力で都市計画の一部が変更され、道路を敢えて歪めて通すよう整備して保存に漕ぎ着けた。
この貴重なガジュマルから新都心方面へ向かうと、突如奇妙なほど巨大な緑地・湿地「銘苅の湿地」が現れる。(冒頭写真)
ここから先の新都心公園側へ向かうには、湿地を迂回し右側から橋を渡るか、左側の銘苅じんじん広場を通って銘苅小学校前から回り込む、というルートしかない。銘苅小学校前から行くと、那覇消防局と小学校裏の間に銘苅の古墓群を見ることができる。この古墓群はマチナトハウジングの返還後、都市計画を進行している最中に発見された。
文化的重要性から埋め戻すのか保存調査を行うのかで議論となったようだが、地権問題や企業誘致、区画整理などとの兼ね合いから、最終的に当初の土地計画を一部変更し、古墓群の周りに庁舎や学校、消防などの施設を集め、建物で囲むように保存することが決まった。