アナタの守り本尊とは!? 干支で参拝、首里12箇所巡り
- 2021/1/18
- 食・観光
今年はこのコロナ禍、人混みを避けこれからゆっくりと初詣をされる方も多いかと思うので、これまでとは少し違った角度で参拝されるとより楽しいかなという、琉球初詣に関するお話をもう一つ。
今回は前回お伝えした「神社」ではなく琉球王朝時代より王府の特別保護を受けてきた「首里のお寺」を巡拝する話だ(前回はこちらhttps://hubokinawa.jp/archives/4302)。
その名も「首里12カ所巡り」。「てらまーい」と呼ばれたりもする。
首里12ヵ所巡り
まず「首里12カ所巡り」と聞けば、その数字から12のお寺のことなのかと想像されるであろうがそうではない(元々は首里を囲む十二の寺を回るという風習だったそうだが)。
この数字の12というのは「干支12支」の12。皆さんそれぞれに干支があり、何年生まれというのがありますね。その12の干支には実はそれぞれの守り神がいらっしゃって、「守り本尊」と呼ばれている。特に首里在住のご年配の方々であれば、自分の守り本尊は〇〇菩薩、私のは〇〇如来だと把握されている。
その12支それぞれの守り本尊が、割り当て祀られている首里の寺院を参拝する、というのが「首里12カ所巡り」なのである。時を経て現在では、4つのお寺に12支の守り本尊全てが割り当てられていているので、全4カ所のお寺を巡るという形になる。
その4つが山川の首里観音堂、寒川の安國寺、赤田の達磨寺、儀保の盛光寺の4つというわけだ。それではここからそれぞれのお寺について紹介していきたいと思う。
首里観音堂
首里山川にあり、慈眼院とも呼ばれる。合掌犬コナンくんがいるお寺としても有名だ。こちらには「子」、「丑」、「寅」、「辰」、「巳」、「午」のご本尊が祀られている。
子年には「千手観音」(せんじゅかんのん)
丑・寅には「虚空蔵菩薩」(こくうぞうぼさつ)
辰・巳には「普賢菩薩」(ふげんぼさつ)
午には「勢至菩薩」(せいしぼさつ)となっている。
故に上記の生まれ年の方は、首里観音堂が首里12カ所の中において自分の干支のお寺ということになる。
首里観音堂は坂下から首里高校、首里城向けに登っていく途中、アカマルソウ通りに分岐する道を上っていくと見えてくる。
琉球王朝時の薩摩侵攻後、後に尚豊王となる佐敷王子が薩摩藩に人質として連れていかれるのだが、父親である尚久が我が息子の身を案じ、王子が無事に戻ってくることができたのならば首里に観音堂を建てると祈願。その後無事に戻ってこれたことを祝い、万歳嶺という高台に建立したとされるお寺である。
そういった起源から、その後も航海祈願や国の安全を祈願して国王自らも参拝に訪れる由緒ある寺院となっていく。『上り口説(ぬぶいくどぅち)』という歌では、首里観音堂にて旅の安全を祈願をするというシーンから歌が始まっている。また、福を呼ぶとされる縁起のいい観葉植物「観音竹(カンノンチク)」は、ここ首里観音堂から名付けられたとも言われている。
安國寺
首里高校裏側の安國寺には、酉年のご本尊「不動明王」が祀られている。
ちなみに不動明王は安國寺本堂ではなく、本堂お隣の「首里十二支堂」の方に祀られているのでお間違いなく。
不動明王といえば、あの世にも恐ろしい顔をしている守護神だ。しかしあの怒りの形相には、邪悪な道へ迷い込もうとする人間を厳しく諭し正しい道へ導く意味があるのだとか。迷いの煩悩を断ち切りたい、自分自身に何か弱い部分が見えた際には安國寺へ参拝に訪れてみるのもいいだろう。
安國寺は尚泰久王の命によって1450年ごろに建立されたと言われ、琉球史の中でもかなり歴史深い寺院である。再建された本堂は首里城に次ぐ沖縄最大級の木造建築物と言われる。
元々は久場川のあたりにあったが、その後現在の寒川に移転してきた。お寺へ入り口の山門がとても特徴的で、その門両脇には二対の金剛力士像がまさに仁王立ちをし、鋭い目を光らせている。門の上には立派な鐘楼、そして龍の彫刻が巻きついた柱の存在感がすごい。
西来院達磨寺
皆さんご存知「ダルマ」。そのダルマのモデルである「達磨大使」に纏わる達磨寺には、
卯年のご本尊「文殊菩薩」(もんじゅぼさつ)
戌・亥年のご本尊「阿弥陀如来」(あみだにょらい)が祀られている。
卯年の文殊菩薩はいわゆる知恵の神で、「三人寄れば文殊の知恵」の文殊である。知恵、学業成就の神様。故に合格祈願の学生たちにとても人気の高いお寺となっている。
また戌年の犬というのは子宝に恵まれる象徴ということで、子宝祈願・安産祈願で達磨寺に訪れる方も多い。
さらにこちらの達磨寺には、この他にもまだまだたくさんの神様・仏様がいらっしゃるのだ。赤い鳥居が何十本も連なる大願成就の「稲荷大明神」、金運アップの「金運神社」、心願成就の「持ち上げ達磨」、水子供養の「水子地蔵」、縁切り祈願の「縁切り不動明王」などなど。
西来院達磨寺を建てたと言われているのが「菊隠 宗意」という僧侶。島津軍が琉球に押し寄せて来た際、王府の命によって今帰仁まで和平交渉を試みに送られたのがこの菊隠だった。
菊隠は琉球人なのだが、日本での修行も長く日本語にも長けており、琉球と薩摩との外交に置いても重要な役割を担っていたため白羽の矢が立ったのだ。結局交渉は受け入れられず琉球は制圧されてしまうわけなのだが、その後も国王の薩摩連行、江戸上りにも随行して補佐、薩摩との様々な調整役として活躍した人物となった。
その多大なる功績が認められ、国師という摂政と同等の位、さらには大きな土地も賜り(当時は儀保の土地)西来院を建立。それが今の西来院達磨寺に繋がっているのだ。
盛光寺
モノレール儀保駅から歩いてすぐのとこにある「盛光寺」。
こちらでは未・申のご本尊「大日如来」(だいにちにょらい)が祀られており、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられている。
盛光寺は読み方が「せいこうじ」で、「成功」と同じ読み方から縁起がいいと親しまれている。
「のまんじゅう」で有名な「儀保まんじゅう」は、もともとこちらの儀保にある盛光寺の境内に間借りをして、まんじゅうを長らく販売していた。盛光寺の建て替えに伴い現在は久場川に引越しをされたが、現在も「儀保まんじゅう」として看板を出し、「のまんじゅう」が絶大な人気商品である。
昼過ぎには売り切れることもあるので、お買い求めの際には朝一で訪れることをお勧めする。
どう回るかは自分次第
このように上記の4つのお寺を巡るのが「首里12カ所巡り」というわけだ。もちろん自分の干支のお寺に参拝するだけでも構わないし、家族分の干支のお寺でも構わない。中には12干支一回り分全ての祈願をかけて4つのお寺全てを回る方も多い。4つのお寺全てが割りと近くに位置しているので、歩いてでも十分回れる範囲だ。
そろそろ初詣も落ち着いてきているころなので、ここらあたりでゆっくりと、改めて新年の抱負を掲げに首里12カ所巡りをしてみてはいかがだろうか。