琉球八社 コロナに気をつけながら初詣はのんびりと
- 2021/1/15
- 食・観光
新年明けて早2週間、すでに初詣に行かれた方も多いとは思うが、今年はこのコロナ禍の中、少し人の動きが落ち着いてから行こう、またはいつもとは違う場所に参拝に行ってみようかと思っている方も多いはず。
特に沖縄では、「旧正月」という新正月にも引けを取らない大行事がこの先に控えており、旧正月を終えるまでは、正月気分を維持することもできるとも考えられる。
ということを踏まえて、すでに初詣を終えた方もこれからという方も、ぜひこちらの記事を参考にされて、今年は琉球八社など一味違った初詣・参拝をしてみてもらえたらと思う。ただし、コロナ対策上、人手の多いところは十分に注意してもらいたい。
琉球八社とは
そもそも「琉球八社」とは何ぞやという話なのだが、端的にいうと「琉球王朝時代から王府によって特別な保護を受けてきた、由緒ある八つの神社」である。
その八つの神社とは、波上宮、沖宮、天久宮、識名宮、安里八幡宮、末吉宮、普天満宮、金武宮となっている。最近ではこの八社の御朱印を集めるというのも密かなブームとなっているようだ。
ところで神社仏閣とはよく耳にするが、神社とお寺の違いをどれくらいの方がはっきり述べることができるだろうか?知っているようで意外と知らないのでは?
神社とお寺 その違い
神道と仏教、まずは漢字を見て分かるように、「神様」と「仏様」、そして「道」と「教え」なわけである。仏教は「教え」であるので、偶像的な教祖がいて経典がある。
しかし神道には教えという実態が無く、神様の数も八百万と書いて「やおよろず」の神と言われるほどたくさんいる。沖縄の御嶽信仰もこちらと同じような形。山であったり木であったり石だったり、あらゆるものに神が宿るという考え。さらに違いをあげてみると、
・神社には神主がいて巫女さんがいる。お寺には住職がいて坊さんがいる。
・神社には鈴があり、お寺には鐘がある。
・神社には鳥居があるが、お寺には無い。
・お寺にはお墓があったり葬儀なども行うが、神社ではそういった行いが無い。
さらに参拝の仕方も違っている。実は双方にはこれほどの違いがあり、別物だということが改めてわかるはずだ。
しかし琉球八社を実際に巡ってみると、不思議なことに気付くだろう。ほとんどの神社が、お寺と隣接する形で建立されているのだ。しかも全て真言宗。
これは時の神仏習合の名残で、明治期に政府によって神仏分離令が施された後も、氏子・檀家制度のなかった沖縄では廃仏毀釈などが起きず、旧慣温存策の流れもあり、そのまま双方が存続してきたことに由来するという。
波上宮隣の護国寺、普天満宮隣の普天間神宮寺などが顕著であるが、金武宮に至っては実際現地を訪れると外観自体は観音寺というお寺にしか見えない。それもそのはず金武宮の御神体は、金武観音寺境内にある洞窟の中を下りていった先に安置されているのだ。
それでは、ここから8つそれぞれの神社を紹介をしてみよう。
波上宮
やはりまずは波上宮。かねてより、琉球八社の中において最も権威のある神社である。現在は沖縄神社庁としての指定も受けている。琉球王朝時代から王府や士族にとってすごく重要な聖域であり、海の向こうのニライカナイより福、豊漁、豊穣をもたらしてくれる神が訪れると信じられていた。
現在でも地元の人々にとっての大切な聖域であり、「なんみんさん」として親しまれ、たくさんの方々が御願やお参りに訪れる。
しかし一方で近代化に伴う危機も訪れた。交通インフラの向上を目的として、波上宮から見渡せる海の上にも道路橋が架けられることになったのだ、そう、波の上橋だ。そこは遥か彼方ニライカナイへと通ずる海上の道のはず。それを遮ってしまうことにならないのか。
そこで、とある奇策が打ち立てられた。波の上橋を渡った事がある人は不思議に思ったこともあるのではないだろうか。そう、波の上橋中央付近には一部、なぜか真っ赤に塗られている欄干部を見ることができる。
実はこの赤い欄干こそ、波上宮とニライカナイとの間を橋によって遮ってしまわないようにとの意なる対応で、波上宮と同色の朱色によって塗装されているとのこと。
ここまでさせてしまうのが、沖縄のニライカナイ信仰でもあるのだ。
沖宮
沖宮は那覇の奥武山公園内にある神社。同じく奥武山公園内にある護国神社と混同されがちだが、全くの別神社。こちらは公園内競技用プールの側にある神社だ。
琉球王朝時代には、三重グスクへと渡る海中道路の道中に臨海寺とともに存在していたという。その拝所跡は現在でも那覇港内でみることができる。
近年では神社の枠を超えた斬新的なイベントなども行なっており、神社という概念を覆してくれそうな存在である。
天久宮
泊高校すぐ近く。地上からは鳥居しか見えないような形だが、鳥居から階下に下りて行くと拝殿、ご神体を参拝できる造りとなっている。
天久宮には洞窟由来の天女伝説があり、天女と男が結ばれた場所として縁結びの御利益があるという。
安里八幡宮
国際通り突き当たりの安里三叉路真裏あたりに位置する神社だ。こちらには第一尚氏最後の国王、『尚徳王』に纏わる伝説がある。
尚徳王は戦を得意とし、自身が戦に出向いて指揮をするほどの王であった。金丸の反対を押し切り、喜界島遠征に乗り出したというのも有名な話である。
その遠征の際、安里の地を通りかかると一羽の鳥が飛び立つのを見てとっさに弓を構え、「一矢であの鳥を為留めたならば、喜界島の制圧を叶えたまえ」と矢を放った。
すると見事に命中し、遠征から戻った際その地に武の神様「八幡神」を祀る「八幡宮」を建てたという。
それ故に安里八幡宮は弓道はもちろん、武道やスポーツの勝利祈願にご利益がある神社として参拝されている。
ちなみに八幡神の神紋は尚家の紋と同じ左三巴である。しかも琉球八社のうち、安里八幡宮以外の七社は熊野権現を祀っている。このミステリーは未だ解明せず。
識名宮
識名宮の本殿裏には洞窟があり、その洞窟に関する伝説がある。昔、この洞窟から夜な夜な光を発するものがあり、大阿母志良礼という女性がその光を不思議に想い、光の元をたどってみると洞窟内の賓頭盧(ビジュル)から出されている霊光であった。それ以降この霊光を深く信仰していくと、いろいろな願いが叶うようになった。
そこでこの話を国王に伝えたところ、大病を患っていた王子がすぐさま元気になったという。そこで王はこの場所に宮と寺を建立し、それが識名宮となったという話。
故に識名宮には健康祈願、安産祈願などのご利益があるという。
普天間宮
普天満宮は言わずと知れた宜野湾市普天間にある神社である。県内中部圏では一番人気のある神社だろう。
普天満宮と言えばやはり普天満洞穴。しかし普天満宮境内に入ってみてもなかなか洞窟らしき姿は見つけられない。それもそのはず、洞穴は拝殿の裏側に位置しており、社務所にて見学の旨を申し入れないと参拝できないのだ。
こちらの洞窟にも女神伝説があり、首里の桃原から絶世の美女が逃げ込み女神となったと言われる。故に首里の桃原にも普天間権現というお宮が存在している。
末吉宮
末吉宮は首里末吉公園内にある神社で、組踊「執心鐘入」の舞台となった「万寿寺(後の遍照寺)」との関わりが深い神社。中城若松と鬼娘とのやりとりに想いを馳せながら訪れてみよう。
ついでに自然豊かな末吉公園を散策するのもお勧めだ。
金武宮
金武宮は金武観音寺の境内の中、洞窟を深く下りて行った先にある。その洞窟内では現在泡盛の保管貯蔵も行なっており、ものすごい数の泡盛が眠っている。
この観音寺にも歴史的なエピソードがあり、時は室町時代、真言宗の僧侶「日秀上人」が紀伊の国から補陀落渡海という捨身業で琉球に流れ着き、現地の人に保護され金武の地で布教を始めた。その布教の拠点が金武宮であり、後にその側に観音寺を建てたと言われている。
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このように、神社それぞれに特徴的なストーリーを持つ琉球八社。
全てを回ってみるも良し、一つ一つじっくり回ってみるも良し。ぜひこのような歴史背景や琉球ロマンに触れながら、初詣も兼ねて訪れてみてはいかがだろうか。