働き方2.0芸人ニッキー⑨放送作家キャンヒロユキさん対談

 

 ハイサイ!沖縄とアメリカのハーフ島ハーフ芸人のニッキーです!

 フリーランスをテーマにしたこちらのコラム。今回のインタビューゲストは、沖縄の放送作家といえばこの方、キャンヒロユキさん!

 キャンさんは放送作家として沖縄のテレビやラジオ、数々の番組の脚本を書いていたり構成に携わっています。芸能事務所や学校に講師として講義を行ったり。ITビジネスや飲食店を始めるなど幅広い挑戦をしています。

駆け出し当時、沖縄では「放送作家って何?」

ニッキー:本日はよろしくお願いします!

キャンヒロユキ(以下:キャン):よろしくお願いします。

ニッキー:キャンさんはどのように放送作家としての活動を始めたんですか?

キャン:放送作家を始めたのは、1996年、大学2年生のときかな。もともとお笑いが好きで、放送作家にも興味があったから。たまたまお笑い事務所FECでオーディションがあって「求む!芸人、スタッフ、放送作家」ってポスターを見かけた。でもその当時、沖縄では放送作家の仕事はなかった。需要がなかったのかな。

 そこから修行のため、東京に行きました。でも、放送作家になるために学ぶつもりで東京の吉本興業の養成所を受けたら、そんなコースはなかった。「芸人になって目立った後で、君のやりたいことが面白そうだったら作家にしてあげる」って言われて。沖縄でも二ヶ月ぐらい芸人活動をしてたから、東京でもやってみました。ライブでいい成績を残せたので、放送作家の仕事をスタートすることができました。

ニッキー:放送作家としては最初からフリーランスでお仕事をされてたんですか?

キャン:吉本興業には所属の放送作家がいなくて。放送作家本人に依頼をするから、最初から自動的にフリーランス。そこからたくさんの経験を積ませてもらった。もともと沖縄でやるっていうのが目的ではあったので、3年ほど修行して沖縄に戻ってきました。

ニッキー:沖縄に戻って活動を始める時は大変じゃなかったですか?

キャン:東京修行から帰ってきた時、まだ沖縄には放送作家はほぼいませんでした。一番初めは仕事がないから、いろんな人に相談して仕事を紹介してもらいました。あまりにも仕事がなくて、ゆうりきや〜さんのマネージャーにお願いして、沖縄テレビの「Oh!笑いけんさんぴん」のステージの幕を開け閉めするだけの仕事もやりました。

 あとはとにかく名前や存在を売り出すことが大事だなと思って。名前を覚えてもらいやすいように、カタカナで「キャンヒロユキ」に表記を変えたり。仕事をもらったら、期待されているよりも3倍とか5倍とかのアイデアを絶対に出して、それでいて「当たり前ですよ」みたいな顔をしないと駄目。いろんな人に会ってアピールしていたら、みんながいろんな人に繋いでくれました。

 当時は関係者の間でも「放送作家って何?」っていう人が多かったんだけど、ちゃんと「物を作ってる人」「クリエイティブな人」の中には放送作家の重要性や脚本構成について知ってる人がいて、そういう人から声がかかってきました。

 あとはもう“圧”だよね。名刺交換した相手から「なんか面白い企画あったら送ってよ」って言われたら、その人と別れた後すぐに企画を書いて、1時間後にはファックスで送ったり。。自分を強烈に売り込むっていうのが大事。泥臭く売り込む。自分のことを本当に必要だと思ってくれた人は、やっぱり起用してくれたし。

芸人が芸人を続けられるために

ニッキー:放送作家のニーズは沖縄にもあったんですね。キャンさんは放送作家以外のお仕事やビジネスもされてますよね?

キャン:新しく「ロルボックス」っていうサービスを開発しています。一般の人とエンターテイナーをつなげるサービスです。芸人が一般の人から依頼をもらってネタを作ったり、アーティストがオリジナル曲を作ったりなど、そういう面白いサービスを誰でも気軽にオンラインで購入できます。

 コロナ禍もあって芸人さんとっても苦労していると思うし、人を喜ばせる立場ということもあって「仕事が減って大変なんです」ってあんまり言いにくいところがある。このサービスが芸人さんの生活の足しにちょっとでもなったらと思っています。できるだけ一生芸人を辞めてほしくないので。

 先日、朝粥屋とまぜ麺のお店をオープンしたんですが、その理由も、芸人がそこで働くことで、お笑いの活動とうまいバランスを取れる環境を作ってもらいたかったから。番組のプロデューサーをお店に呼んで、働いてる芸人の紹介とかもしたい。

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