ルーツ探り沖縄へ 横浜・鶴見区の南米県系子弟 26年で約400人
- 2020/9/13
- 社会
横浜市鶴見区には沖縄タウンと呼ばれる街がある。沖縄出身者とその子孫が多く住み、 街の歴史は100年以上にもさかのぼる。さらに、1990年出入国管理法の改正以降、日系人であれば日本で自由に労働できることになったため、戦前戦後に南米に渡った沖縄出身者の子孫が仕事を求めて家族で移り住んできた。
南米から移住した子どもらは、鶴見区の小中学校に編入。しかし、言葉と習慣の壁に苦しみ、外国人といじめられ、自分は何者なんだとアイデンティティーの葛藤に悩む生活を送っていた。
そんな子どもたちを助けたのは「沖縄へルーツを探る旅」。1994年からこれまで26年間で約400人の子どもたちが、自らのルーツを探ろうと夏休みに沖縄を訪れてきた。
旅の主催は、県系人の子どもや保護者、教職員らのボランティア団体「IAPE(イアペ・外国人児童生徒保護者交流会)」。旅の内容や子どもたちのルーツ探りなど、立ち上げから現在まで関わってきた顧問の沼尾実さんに話を聞いた。
「外人」といじめられる子どもたち
沼尾実さんは1992から1999年まで横浜市立潮田中学校で教員をしていた。潮田中にもブラジル、ペルー、アルゼンチン、ボリビアから日本語が全くわからない生徒が編入してきた。
「与那嶺、仲宗根、赤嶺、新垣、金城と沖縄の苗字の子ばかり。ブラジルはポルトガル語、他の国はスペイン語を話し、沖縄の言葉は少しわかるが、日本語がほとんど分からない子どもたちだった」という。
子どもたちは「親に騙されて(日本に)来た」といい、南米では日系人として差別を受け、憧れの日本へ来たら日本語が分からず、外人といじめられ、母国の言葉を一切人前では話さず、自分は何者なんだと悩み孤立していた。
沼尾さんら教員は現状を知り、日本語が分からない児童生徒への取り組みや悩みを話し合った。そして、子どもたちが悩みながらも夢を持っていることを知った。「祖父母から聞いていた美しい海、美しい自然の沖縄に行ってみたい」
また、父母や祖父母も自分が生まれ育った美しい沖縄に子どもや孫を行かせたいと思っていた。しかし、出稼ぎで忙しくて時間がなく、旅費の工面も難しい現実。
沼尾さんらは、毎日辛い思いをしながら学校へ登校してくる子どもたちに「沖縄へルーツを探しに行こう」と声をかけ、1994年から毎年夏休みに「沖縄へルーツを探る旅」が行われている。