コロナを乗り越えて3年ぶりの那覇大綱挽 

 

 爆竹の音とともに漂う火薬の匂い、チングの鉦(かね)の音に猛々しい旗頭の舞い。商売繁盛、子孫繁栄を願う500年以上もの歴史をもつ伝統行事「那覇大綱挽」が、紆余曲折を経て3年ぶりに帰ってきた。

 初夏のある日、2年連続中止となっていた沖縄3大綱引きの一つ、那覇大綱挽保存会から与那原町在住の筆者に1本の電話がかかってきた。「与那原大綱曳はどう開催するのか知りたい」とのことだった。

 夏時点では新型コロナウイルス感染者がまだまだ多く、大綱挽を開催するか否か、お互い悩みに悩んでいた。県のイベント開催基準も相当厳しく、与那原町が苦労している一番の難関は、大綱曳に係わる全ての人を把握し、観客と引き手を分けることだと伝えた。それでも呉屋守將会長は「沖縄の誇り。絶対にやる!もし何かあったら全て俺が責任をとる!」と言い切っていた。

喜びとエネルギーがほとばしる

 日々コロナ感染者の状況が変わる中での沖縄県、那覇市、警察、軍港などとの調整の結果、ギネスに登録されている大綱の大きさを全長200メートルから160メートルへ、重さ40トンから24トンへ小型化、毎年誰でも参加出来る綱挽の引き手人数を3200人と制限し、全て事前申し込みで管理することで開催することになった。

 10月9日、青く澄み渡った空の下、始めに行われた国際通りでの旗頭の舞いは、喜びとエネルギーがほとばしり、大勢の観客を魅了した。筆者もエントリーしていたので向かったところ、午後3時すぎには大綱が横たわる国道58線に引き手が集合していた。指定された場所、カヌチ(頭)付近に待機した。

パレットくもじ広場で受付

まさかの綱切れ

 武術の演武、旗頭のガーエーの後、東西の大綱を寄せてカヌチを結合。支度が演舞しカヌチ棒が挿入され、いざ決戦!と思われた瞬間、アナウンスが入った。「西の綱に少し切れたところがありまして引き分けといたします」。

ほつれた西綱

 大綱挽に係わった全ての人の時が一瞬停止、その後、驚きとざわめきの声が上がった。しかしそこにいた引き手の人々は、すぐさま笑顔に戻り、大綱や衣装を身にまとった人たちと写真を撮りだし、カチャーシーで盛り上げた。参加した50代の男性は「開催出来たことに意味があるよね」と微笑んだ。

 外れた西綱をのぞいてみると、2019年の時のように切れてはおらず、ひっこ抜けてしまった形だった。近くにいた旗頭に話を聞くと、「新しく作った大綱だったけれど、繋げる部分の重なりが短くて外れてしまった。残念だけど仕方がない」と悔しがった。

支度の演舞は中山王と南山王

 呉屋保存会会長からは、「挽くことは出来なくて残念だったけれど、こうしてここまで開催にこぎつけられたこと、ここまでみんなで出来たことが素晴らしい。やれば出来る、できるんだよ。やらないと伝統を繋ぐことも出来ない。与那原も勇気をもってやってください」と逆に励まされた。そして「頑張れよ」と背中をポンポンと推してくれた。

 コロナ禍で我慢に我慢を重ねながら、伝統を継承するため、そして経済活性化のために勇気を持ってチャレンジした那覇大綱挽。受付業務から整備、警備、運搬など那覇市職員を始め、何百人ものスタッフが全力で取り組み、多くの人たちを笑顔にしてくれた沖縄の伝統行事開催に拍手を贈りたい。


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