昭和世代は思わず反応してしまう?「海洋博」を振り返る
- 2022/1/22
- 社会
沖縄を代表する人気観光スポット「海洋博公園」の正式名称は「国営沖縄海洋博覧会記念公園」だ。近年では「美ら海水族館」としての知名度の方が勝っているかもしれないが、地元民や昭和世代にはやはり「海洋博」の方がしっくりくるだろう。
今回は海洋博の知られざる歴史と、長い間海洋博のシンボルであったあの巨大海上構造物についてお伝えしよう。
復帰を記念した国営公園
沖縄海洋博記念公園とは、沖縄の本土復帰を記念して開催された沖縄国際海洋博覧会の会場跡地に整備された大規模な国営公園だ。海洋博覧会は復帰から3年後の1975年7月20日から翌年1月18日までの183日間に渡って開かれ、世界36カ国、3つの国際機関が参加した。海をテーマにした19のパビリオンが出展され、特別博*の中では過去最大規模となった。
(*特別博とは国際博覧会において特定の部門にテーマを絞り、開催者が展示館を建設して参加国に貸与する博覧会。1996年に改正あり)
沖縄から3000kmも離れたミクロネシア・サワルタ島を出発した6人乗りの伝統木造のカヌー船「チェチェメニ号」が、47日間の航海を経て博覧会開催期間中に会場へ到着したことも大きな話題となった。また、世代によっては博覧会を記念して発行された100円記念硬貨を覚えている人も多いのではないだろうか。
海洋博覧会は本部町で行われたが、他にも開催地候補として読谷の残波岬、糸満なども挙げられていた。最終的に本部周辺の海岸形状、周辺の雄大な山並み、伊江島や瀬底島といった離島を含めた景観などの点から本部町へと決定されたという経緯がある。
半年に及ぶ開催期間中、当時人口100万人ほどだった沖縄におよそ348万人の来場者が訪れた。しかし当初の来場者数予測は450万人を想定しており、100万人近いマイナスとなった。倒産企業も相次ぎ、「海洋博不景気」という言葉まで生まれたほどであった。
そのような観光誘致失敗の歴史がある場所が、現在では県内有数の観光スポットに返り咲いているのは見事だと思う。ただ、海洋博ショックにせよ近年のコロナショックにせよ、過去の教訓をしっかりと取り入れ、観光一本で開発に次ぐ開発という流れは考え直さないといけないとも感じる。