沖縄の球団チア、プロデュースは海外でも活躍するこの人!(下)

 
現在の吉田邦彦さん近影

 沖縄県内のプロスポーツの球団チアチームをプロデュースする株式会社BUPPIE RECORD (バッピーレコード、那覇市)代表の吉田邦彦さん。世界各地からダンス講師として誘いを受ける中、新天地として選んだ台湾での活動は?もしかしたらマイケル・ジャクソンと一緒に仕事をしてたかもしれなかった?
 FEC所属のスポーツ大好き芸人・ぎぼっくすが全2回にわたってお届けするインタビュー後編は、そんな吉田さんの波乱万丈に満ちた半生を紹介する。


吉田さんとダンスの出会い

ぎぼっくすのリモート取材に応じる吉田さん

ぎぼっくす:吉田さんがダンスと出会ったきっかけを教えてください。 

吉田さん:僕は東京生まれで札幌育ちなんですが、学生時代はずっと野球をやっていて、北海道内の強豪校で甲子園を目指していました。残念ながら甲子園には行けずに野球を引退した後アルバイトを始めたんですが、バイト先の先輩に連れていってもらったディスコでロボットダンスを見たのがダンスとの出会いでした。まだヒップホップという言葉も日本に浸透していなかった1984年でした。それからディスコに通うようになったんです。高校卒業後に就職しても野球は続けていて、夜になるとディスコに通うという生活をしていました。 

ぎぼっくす:いつごろからダンスを仕事にし始めたんですか?

吉田さん:社会人野球をやっていてもプロ野球選手にはなれないし、次の生き方を考えていた頃に札幌のススキノで外国人ダンサーのショーを見たんです。そのショーを見た時に自分はこれを仕事にしたいと思い、勤めていた会社を退職しました。東京に出てTRFのSAMさんが教えていた「BDCダンススクール」に1年間通った後、札幌に戻ってススキノでショークラブのダンサーや振り付けとして活動していました。  

ダンスの師匠である故TONY TEE氏(右から4人目)と吉田さん(同5人目)。出演したイベントで=1993年、東京

世界大会での出会いで国際的な活動へ

ぎぼっくす:その後は国内でどのような活動をしていましたか? 

吉田さん:札幌でダンスを教えてた子が東京に進出して、DEENのボーカル池森秀一として売れていったり、ダンススタジオがあったビルの上の階で劇団活動をしていた俳優の大泉洋と顔を合わせる度に「お互い頑張ろうね」と声をかけあったりしていました。そんな環境の中で刺激されて日本全国、海外でも活動したいなという思いが強くなりました。
 そんな中で4人組ダンスグループ「b-way」で東京の色々なコンテストにチャレンジしていました。そこで一度2位になった事がありまして、その時に現場にいた関係者に推薦されて名古屋で行われた世界大会に出場したんです。 そしたらさらに、世界大会の現場で各国の関係者から「うちの国でダンスを教えてほしい」とお誘いを受けたんです。 
 ヨーロッパ、アメリカ、韓国などありがたいことにたくさんのオファーを受けたのですが、台湾に行く事にしました。 

Print Friendly, PDF & Email
次ページ:

1

2

関連記事

おすすめ記事

  1.  沖縄の行事や観光映画などを収めた古い映像資料の修復・保存を数多く担う東京の業者がある。株…
  2.  42.195kmの道のり、厳しい坂を登り切ってのゴール。9月5日に行われた東京パ…
  3.  菅義偉首相が新型コロナウイルス対策に専念することを理由に、自民党総裁選への不出馬を表明し…
  4.  新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない沖縄。8月25日にはついに感染者数が800名を超…
  5.  沖縄が全国に実力を誇る「ハンドボール」。今回の東京オリンピック女子ハンドボール日…
琉球海運_広告国場組大寛組前田鶏卵
琉球海運_広告前田鶏卵大寛組国場組

特集記事

  1.  教員免許に10年の“有効期限”を設け、更新しなければ失効してしまうという教員免許…
  2.  教員免許に10年の“有効期限”を設け、更新しなければ失効してしまうという教員免許…
  3.  内閣府は2022年度沖縄振興予算の概算要求額を2998億円とする方針を固めた。仲井眞弘多…
ページ上部へ戻る ページ下部へ移動 ホームへ戻る 前の記事へ 次の記事へ