尖閣の字名には元々島名が付いていた
- 2020/6/24
- 政治
尖閣諸島の字名が「石垣市登野城○○○○番地」から「石垣市登野城尖閣○○○○番地」に変更が決まったことは、一時ヤフーニュースのトップにランキングされ、NHKの定時と夜7時、9時のニュースでも大きく取り上げられた。
石垣市議会(平良秀之議長)は22日、6月定例会最終本会議で、市当局が提出した尖閣諸島の字名を変更する議案を賛成多数で可決した。内訳は自民・公明・旧維新の与党と野党の保守系議員1人の計13人が賛成、社民・社大・共産など野党8人が反対した。
質疑では、野党の前津究氏(無所属)が「尖閣に関する行政事務が一体何件あるというのか。変更しなければならないほどの煩雑さを感じない」と「事務手続きの効率化」に疑問を呈した。討論では、野党議員が「台湾との友好関係に悪影響を及ぼす恐れがある」と関係悪化への懸念を強調した。
これに対し、与党の仲間均氏(自民)は、「尖閣は我が国固有の領土であり、石垣市の行政区域であることは紛れもない事実。周辺国からとやかく言われる筋合いのものではない」と正当性を主張。
仲間氏は、公式ホームページ(公式HP)でも「近隣諸国との緊張を高めるというが、字名変更しなくても尖閣諸島周辺海域は中国の公船が毎日のように接続水域を航行し、領海侵犯を繰り返して、一触即発状態にあります」と野党の批判を一蹴している。
コロナ報道で隠れがちだが、仲間氏の言うように、中国海警局の巡視船が、領海のすぐ外側にある接続水域内を4月14日から連続で航行していることは事実だ。興味深いのは、台湾総統府の報道官が22日、「遺憾と厳正な抗議」は申し入れつつも、「中国の公船が長期にわたって関係海域で漁民の活動を妨害していることが、今回の事態を引き起こした」と、石垣市側に一定の理解を示していたことだ。
しかし、仲間氏が「正しく表記するための行政上の手続きであり、周辺諸外国からとやかく言われる筋合いのものではありません」(公式HP)と強く主張するように、周辺国との相関関係ではなく、「そもそも尖閣とは」の原点に立ち戻り、今回の「字名変更」を考えてみた。
平成2年取得の登記簿謄本
字名変更議案が可決された翌日23日「慰霊の日」の午後、那覇市内のシティーホテルにある人物を訪ねた。半世紀にわたり尖閣諸島問題を追い続け、石垣市議会に字名変更の請願書を提出した奥茂治氏だ。「石垣市字登野城2392番地」に本籍地をもつ48世帯の中の一世帯の一人でもある。
糸満市摩文仁から戻ってきた奥氏は、汗を拭きながら開口一番こう言った。「字名の“変更”ではありません。元に戻っただけです」。どういうことか。すると、奥氏はファイルの留め具をはずし、ばらした資料を目の前に示した。
【平成2年11月19日 那覇地方法務局石垣支局 登記官 山城範常】のスタンプが押してある。スタンプの上には「これは登記簿の謄本である。ただし、登記のない乙区を省略する」とある。
まぎれもなく、尖閣の地番を示す登記簿謄本である。
〈石垣市登野城南小島 弐参九〇番 原野 参弐四六弐八m2〉
〈石垣市登野城北小島 弐参九壱番 原野 弐五八八四弐m2
〈石垣市登野城魚釣島 弐参九弐番 原野 参六四弐九八参m2〉
〈石垣市登野城久場島 弐参九参番 原野 八七四〇四九m2〉
〈石垣市登野城大正島 弐参九四番 原野 四弐参六八m2〉
次のページには、所有権者と移転した日付などが克明に記されている。
この登記簿謄本からは、少なくとも平成2(1990)年には、尖閣の地番は「石垣市登野城○○○○番地」ではなく、「石垣市登野城」の後に島名が付いていたことが分かる。
5年間に何があったのか
ではいつから「石垣市登野城○○○○番地」になったのか。仲間氏が平成7(1995)年に取り寄せてみたところ、島名が消えていた。その時にはすでに「石垣市登野城○○○○番地」になっていたという。5年の間に何らかの動きがあった訳だ。なぜ島名を削除する必要があったのか。
仮にだが、島名を削除しなければ、尖閣諸島が日本に帰属している事実はより明確で、石原慎太郎知事(当時)が東京都で買い取る意思を見せずとも、野田佳彦首相(当時)が国有化を急ぐでもなく、石垣市の行政区域であることを示せたのではないか。そんな仮説を立てたい誘惑に駆られる。
5年間の検証は今後の課題だが、ともあれ奥氏が言った「“変更”ではなく“元に戻った”だけ」の意味は明らかになった。個別の島名を復活させた訳ではないが、地域を総称する「尖閣」になったことは、元の表記に近付いたと言えるのではないか。
さて市議会の議決が可決されるや、中国外務省の趙立堅報道官は、22日の記者会見でこう述べている。「日本側が名前を変えるという議案を可決したことは、中国の領土の主権に対する重大な挑発で違法かつ無効であり、島が中国に属している事実は変えられない」(NHKニュース)
2012年の反日行動では、多くの日系企業が標的になり甚大な被害を被った。それもあり、「緊張が高まる」「刺激した」と石垣市の議決を諫めるメディア世論がある。しかし、元々「魚釣島」「久場島」などの島々の総称を復活させただけであり、変更ではないことは奥氏が平成2年に取り寄せた登記簿謄本が雄弁に物語る。
周辺国との関係性に振り回されるだけではなく、「そもそもの史実」から原点に立ち返ることもまたグローバルな視点には欠かせない。