沖縄初タラソエステの波乱万丈 (株)リポースカンパニー粟國代表

 

 海水、海藻、海泥などを用いて行う自然療法「タラソテラピー」。沖縄で初めてタラソテラピーをエステティック風にアレンジして取り入れたのは、那覇市泉崎にある株式会社リポースカンパニーの粟國淳子代表(58)だ。

 1991年、那覇市のマンションの1室で、たった1人で看板を立ち上げて30年。「自分なりの売りかた、仕事の進め方で成功させる」。ブレない芯の強さで、お客のニーズに合わせた施策を打ち出し、今では、スパサロンを県内5店舗、石川県、山梨県、静岡県に構え、化粧品を販売するコスメカウンター3店舗・温泉施設2店舗(いずれも県内)に業務を拡大している。

 子育てとの両立、従業員の横領、パートナーとの死別、コロナ禍の生き残り戦略ー。粟國代表に、変遷と今後の展望を聞いた。


 財全GROUP PRESENTS「Build The Future」。本特集では、財全GROUPが沖縄の未来を築く輝かしい人びとを紹介しています。


28歳、マンションの1室で1人で開業

 もともと、メイクアップアーティスト志望だった。新卒で大手外資系化粧品会社へ就職し化粧品を扱う部署に配属された。約3年勤めたのち一度帰沖し香水輸入会社へ転職。売り上げを立てる社員として充実な日々を送っていたが、「仕事の規模を広げてより大きな数字を生み出す仕事がしたい」と物足りなさを感じて再び上京。大手外資系メーカーで更なる知見を広げた。

 1年ほど経過し「自分で事業を起こすなら化粧品販売ではなく、技術が必要」と感じ、エステティシャンへの転身を決めた。同僚が悠々自適の生活を送る中、毎月5万円を貯金。有休を活用しメーカーで研修を受けて技術を習得。28歳で自分の店を持った。

開業5年で3店舗。子育てとの両立も奮闘する日々

 「予約が取れて早い」。大手エステサロンに予約が殺到し脱毛が受けられない客層があることを知り、確実に予約が取れてスピーディーに仕上げる戦略で顧客を獲得していった。 創業翌年、第一子を出産。帝王切開だったが約9日間で現場に復帰した。家族の助けを借りながら、会社を軌道に乗せるのに必死だった。

 お客様を第一に考えた接客で、客が客を呼ぶようになり人の輪がしだいに広がっていった。この頃には、170万円/月の売上げを立てていた。

 「立上げから8年目まで、来月が読めない状態だった」と創業当初を振り返る。社会の変化や若い人が何を望んでいるかをいち早く察知し、堅実に業績を伸ばしてきた。市場や顧客の新しいニーズを見極める目利きとブレないビジネス路線で生き残ってきた。気づけば、立上げから5年で3店舗まで拡大していた。「若くて勢いがあった」と笑う。

タラソテラピーサロンをOPEN

 タラソテラピーを始めたきっかけは、東京でもまだ市場に出ておらず、機械を扱っていたのは伊勢志摩(三重県)の施設のみ、ということを東京研修で知ったからだった。「沖縄には海がある。一番合っている」と直感で決断し、研修の足で伊勢志摩まで話を聞きに行った。

次ページ:

1

2

関連記事

おすすめ記事

  1.  サッカーJ3のFC琉球が、第2次金鍾成(キン・ジョンソン)監督体制下の初陣を白星で飾った…
  2. 今季から琉球ゴールデンキングスに加入したアレックス・カーク(左から2人目)やヴィック・ローら=16…
  3.  FC琉球の監督が、また代わった。  サッカーJ3で20チーム中18位に沈む琉球は1…
  4. 戦前に首里城正殿前に設置されていたバスケットボールゴールを再現した首里高校の生徒ら=8月27日、那…
  5.  8月12日、浦添市のアイム・ユニバースてだこホール市民交流室は熱気が渦巻いていた。ステー…

特集記事

  1. 再びFC琉球の指揮を執ることになり、トレーニング中に選手たちに指示を送る金鍾成監督=19日、東風平…
  2. ヴィック・ロー(中央)の入団会見で記念撮影に応じる琉球ゴールデンキングスの(左から)安永淳一GM、…
  3. 沖縄県庁  沖縄県は、地域の緊張を和らげようと、4月から「地域外交室」を設置し、照屋義実副知…
ページ上部へ戻る ページ下部へ移動 ホームへ戻る 前の記事へ 次の記事へ