琉球の川シリーズ② 古の香り漂う憩いの場、安里川と金城ダム
- 2021/2/20
- 社会
金城ダムが二つの池に別れた理由
実はこの石橋の存在にこそ、金城ダムを二つに分けた理由があった。
新たな金城ダム建設において、これらの重要文化財をしっかりと保護・保存するために、敢えて橋の上と下に2つ別々の池を作ったというわけだ。もちろん上池と下池は大きな水門で繋がっている。しかし時代を経てなお、石橋の下にもしっかり別流の流れを導き、琉球の時を感じさせてくれるのだ。
その新旧を楽しませる設計が素晴らしい。
しかし巨大な池と池の間にあるのならば、両方の池が前代未聞の大雨で満杯になった場合など、橋も一緒に沈んでしまうのではないか?という心配もあるかと思うがDon’t Worry!
ダムの天端標高(ダムの中で一番高い部分)と橋が掛けられている部分の高さが同じになるよう設計することで、どれだけ水かさが増しても、ギリギリのところで水が橋側へは溢れず下に逃げていく構造となっており、文化財との共存を緻密に考えて設計されているのである。
では、この橋を渡った向こう側には何があるのか、何があったのか、というところを見てみると、それは今も昔も変わらず皆さんもご存知、世界遺産にも登録されている「識名園」へと続いているのだ。
そう、この道は王朝時代に首里から王家の別邸でもあった識名園へ向かうための道でもあり、先人たちがこの橋を渡って行き来をしていたんだなと思うと、ロマンを感じずにはいられない。
「ヒジガー」という名前の由来は、首里からの坂の途中にヒジガーと呼ばれる湧き井戸があり、その井戸に滴る鍾乳石がヒゲのように見えたことからヒジ(ヒゲ)のカーで「ヒジガー」と名付けられたんだとか。ヒジガーのある坂道なので「ヒジガービラ(ビラは坂)」、そして石橋の名前も「ヒジガー橋」と名付けられたという。
では、ヒジガービラの坂を首里に向けて上っていくとどうなるか。
崎山町の雨乞い御嶽、御茶屋御殿跡に辿り着く。識名園が首里城の南に位置する「南殿」と言われたのに対して、東の御殿であった東殿「御茶屋御殿」である。ただ、現在そのヒジガービラは一部土砂崩れが起きており、通行不可能となっている。修復されるまでは金城ダム内のヒジガー橋を見て楽しんでもらえればと思う。
金城ダム景観のこだわり
これまで述べたように、金城ダムは琉球王朝時代からの重要な史跡や、歴史を感じられるロケーションにあり、単なるダムとしてだけではなく、全体的な景観でもかなり「琉球」を意識した造りになっている。
例えば水を堰き止めておく巨大な堤体には、琉球石灰岩を石積みしたかのような石張りが施され、首里城の城壁をイメージさせている。さらにダム敷地内には、展望広場というちょっとした公園のような広場もあり、その造りがまさにグスクだなのだ!
近代技術を結集し、古来からの難題であった安里川の氾濫を収め、さらには歴史的文化財もしっかり保護しつつ、現代では人々の憩いの場として愛される金城ダム。
ぜひ、遊びに訪れてみてはいかがだろうか。