連載小説・宮城亜茶子の生活と意見 第三回

 

 働き方改革が始まる前から、亜茶子は十六時五十分に退社することに決めている。二十代の頃は必要のない資料整理や掃除をして時間を潰したものだが、もはやそのような勤労意欲はなく、「お疲れ様でした~」と流れるように言って、足に車輪でもついているかのように会社から滑り出る。定時より十分早い退社は、中身のないルールを変えない会社に対する小さな抵抗だ。

 会社の横にある駐輪場の端には、相棒のGMW(ゴーイング・マイ・ウェイ)号が停めてある。小学生の頃、世界で年間百万人以上が交通事故で死んでいることを知って、亜茶子は自動車の免許を取らないことに決めた。車社会の沖縄では免許を持っていないと「え?」と怪訝な顔をされることもあるが、那覇市内(首里を除く)であればGMW号で行けるので、特に不便を感じたことはない。

 自転車に乗ることは、亜茶子にとって何よりの幸せだ。雨の日や坂道を上るときは車が欲しくなることもあるが、自分で漕いだ分だけ進むというシンプルな原理が気に入っている。模合の席でその話をすると、「やっぱりあんた変わってるね」という声が返ってくる。しかし、亜茶子は気にしない。太陽の光を浴びながら風を切って走る喜びは、生きている実感と深く結びついていて、何ものにも代えがたいからだ。

 アパートに帰る途中、亜茶子はユニオン前島店に寄って夕食の買い物をする。店に入って左手にある酒コーナーで金麦のロング缶(二本)をカゴに入れ、無駄のない動きで右奥の惣菜コーナーへ直行する。定番のじゅーしーに加えて、最近のお気に入りは「トマトソースとモッツァレラチーズ風キャベツボール」だ。名前が少し気になるが、六個で三百九十九円はお買い得で、しっかりとした味つけも申し分ない。

 お菓子コーナーでポテチ(九州しょうゆのBIG BAG)に手を伸ばしながら、たまには料理もしなきゃな、と思う。宮古のおばぁが生きていたら「あっがい、ちゃんと自分で作りなさい!」と叱られることは間違いない。しかし、一緒に食べてくれる人がいないので、自炊すると出費がかさんだり、食材を余らせたりしてしまう。恋人や夫の不在という乗り越えたはずの問題が亡霊のようにつきまとってくる現実に、亜茶子はげんなりしてしまう。

 六年ほど前、結婚を焦るあまり、亜茶子は合コンや婚活パーティで知り合った男を片っ端から食事に誘っていた時期があった。出しゃばらずにしおらしくしていると「積極的な人がタイプ」と言われ、沈黙を埋めようと相手の興味がありそうな話題を振っていると「静かな人が好きなんです」と言われた。グスク・トリオとの戦いで男に対する心の壁が生まれてしまったのか、感情の細やかな調整がきかなくなっていた。

 現状を同級生の香織に話すと「最近のオトコは草食系らしいから積極的に攻めた方がいいよ」と言われ、スナックで働く麻子に意見を求めると「男は女に対して優越感を抱きたいから目立つのは絶対にNG」とほぼ正反対のアドバイスを受けた。どっちよ! 一連の出来事ですっかり自信を失くした亜茶子は、ストレスからか、深刻な体調不良に悩まされるようになった。

 精神のバランスが最も崩れていた頃、亜茶子は結婚五年目の主婦を演じていたことがあった。夫は銀行員で、三歳になるやんちゃな息子がいるという設定で小芝居を打っていたのだ。世間体に囚われない自由な女という自己像を描いていながらも、その実、誰よりも人の目を気にしている過剰な自意識が心の底から怖くなった。

 このままだと頭がおかしくなる。そう直感した亜茶子は、波上宮へ行ってGMW号と一緒にお祓いをしてもらった。その効果なのかどうかはわからないが、三十歳になると嵐が去ったように精神は落ち着きを取り戻し、激しかった結婚願望も穏やかなものとなった。そして、その頃を境にして、意識はおばちゃんモードへと切り替わったのだった。

(続く)

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野原誠喜

野原誠喜

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1986年沖縄生まれ 詩人・小説家
第40回琉球新報短編小説賞受賞
詩集『燃えた城のある街で』

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