コザに感じる二色のカラー
- 2020/10/18
- 社会
時の朝鮮戦争の軍事特需とも重なり、八重島には当時100軒以上の料亭やバー、クラブがひしめき合い、ホステスも毎晩につき優に300人を超えていたという。不夜城とも例えられた街の景気の波に乗り、一攫千金を目指して離島からの移住者も後を絶たなかったという。
しかし時代が時代なだけに、そのような闇深い野放しなエリアとなると、問題になってくるのが公衆衛生面。軍人組織の中での性病罹患や感染症の蔓延が深刻な問題に発展していくことになるのであった。
Off LimitsからAサインへ
軍人に必要とされる要素は強靭な肉体、そして戦地にて縦横無尽に動き回る体力である。時は朝鮮戦争真っ只中。この『裏町』の衛生問題が軍事力の低下に繋がってしまう危険性を問題視するようになった米軍部は、軍人たちの特飲街への立ち入りを禁止するオフリミッツ(Off Limits)を施行することになるのである。
その後、オフリミッツの打撃を受け衰退していく八重島の代わりに、B.C. Street(現中央パークアベニュー)や金武町、辺野古に軍人向けの街が次々と整備されていく。そこから後のサービス業などには、いわゆる軍の厳しい衛生検査をパスしたことを証明する『Aサイン (Approved Sign)』を掲げさせ、それ以外の店には軍人は立ち寄れないという御触れを作り出したわけである。
オフリミッツを徹底された八重島(ニューコザ)は次第に廃れ、現在では一変して閑静な住宅街へと生まれ変わっているが、今でも所々当時の名残を見て取れる建物や家屋も残されているのがとても興味深い。
その厳格なAサインを取得するにはもちろん様々な米軍検疫をパスし、公衆衛生面をしっかりと整わせなければならなかった。サインを取得するために大金をはたいて店内を大改装する店主もいたり、中にはオフリミッツの影響をもろに受けて廃業せざるを得なくなった店舗も少なくなかったという。
人種問題への意識の高まり
そんな最中、世界を巻き込んだ戦争は落ち着きを見せ始め、アメリカ本国では平和で平等な社会を目指し人種間問題への意識が高まり出していた。
しかし、人種差別問題への意識が高まることにより、返って彼らの中での人種間の違いをさらに意識させることへと繋がっていく。
その流れは沖縄に在住する米軍人の中にもくすぶり始め、一つの小さな島に赴任する同じアメリカ軍同士というのにも関わらず、彼らの中にも人種の線引きが大きな意識として動き始めるのであった。
そこから自ずと双方の活動範囲や歓楽地の棲み分けも行われ始め、B.C. Streetには白人街、そしてコザ十字路照屋付近には黒人街という見えないテリトリーが生まれることになる。
もちろん双方のエリアにお互い逆のカラーの人間が足を踏み込むことは許されない。間違ってでも足を踏み入れようものなら、総袋叩きに合うというのが当時の慣例だったようだ。
なので、双方今でも同じような歓楽街や特飲街の雰囲気を残す場所ではあるが、実際に現場に足を運んで歩いてみると、どことなく違った香りというのか、目に映る景色にさえ違いを感じてしまうのはそういうことなんだと妙に納得がいく。