琉球から現代、沖縄の女性たちのあゆみを眼差す 公文書館で『女性たちの沖縄』

 

 琉球王朝時代から現代にいたるまでの沖縄の女性たちのあゆみを、公文書資料で紐解く展示「女性たちの沖縄」が沖縄県公文書館で始まっている。展示は7月23日まで、入場は無料だ。
「移り変わっていく時代の中で、女性にフォーカスすると何が見えてくるのかということを軸に、所蔵資料の中からピックアップして紹介しています」。企画・展示を担当した公文書専門員の麻生清香さんはそう説明する。麻生さんの言葉とともに、展示内容を紹介する。

「外からの目線」で記録された琉球の女性

 展示は時系列で3つのセクションに分かれている。まず始めに「近代沖縄の女性とあゆみ」と題されたコーナーでは、近世の終わりから沖縄戦までの時期の資料が並ぶ。

 冒頭にある『琉球談(リュウキュウバナシ)』(1795年)という資料は、日本と琉球の関わりや琉球の風俗について記録されたもので、当時の女性が手に施していた入れ墨「針突(ハジチ)」についての記述がある。これに関連して、展示室中央部にある「深堀りコーナー」の一部には、ハジチについて研究した『南嶋入墨考』(小原一夫、1962年)の基になった調査カードも展示されており、同時に閲覧するとより立体的に当時の様子を知ることができる。

「『琉球談』の記述には、女子は15歳になれば針で入れ墨を入れるとあり、当時の琉球の風俗が淡々と書かれているんですよね。そして今回、去年11月に寄贈していただいたハジチの模様を記録した資料も一緒に展示しています。1枚1枚にハジチのパターンが手書きで記録されていて、『手間賃なし』とか『学校で止められたが親にはやるように言われた』といった、当事者の聞き取りの細かいメモ書きにも注目してもらいたいですね」(麻生さん)

深堀りコーナーにじは、昨年寄贈されたばかりの小原一夫さんによる「ハジチ」の調査カードが並ぶ

 次いで展示されている『薩遊紀行』(1801年)は、熊本から鹿児島へ旅した肥後藩士が記した紀行文で、鹿児島に滞在していた琉球の人や、琉球に渡航歴のある薩摩役人からの聞き取りが記録されている。「平士の妻はみな外で商売をする」という記述があり、女性たちが商売を担っていた様子がうかがえるという。

「この頃の琉球の女性に関する記録の多くは『外からの目線』で書かれたものです。女性たちは読み書きが出来る状況になかったので、この当時の女性たちの“生の声”みたいなものはなかなか表立っては出てこないですね」と麻生さん。その観点からみると「近代になってからの変化として、女性たちが文字を書けるようになって自分たちの意思を示せるようになったという意味で、学校教育は大きな影響があったと思います」と説明した。

現在にも通ずる差別の重層性

 このセクションでもう1つ気になったのが、1932年の『婦人公論』に掲載された作家・久志芙沙子さんの小説「滅びゆく琉球女の手記」だ。主人公の女性の視点で、沖縄出身であることを隠して東京で成功した叔父と、故郷・沖縄の困窮具合や県民同士の差別を描写されているこの作品は、在京の沖縄出身学生会からバッシングを受けて連載休止に追い込まれた。

「この当時は『琉球人』という出自は差別の対象でした。出自を隠して穏当に暮らしたい東京の沖縄出身者たちからは、その実情を晒すということには物語とはいえかなりの反発が出たようです。この後、久志芙沙子は釈明文を発表して、小説の続きを書くことはありませんでした」(麻生さん)

 同作は久志さんによってもともと「片隅の悲哀」と題されていたが、編集部によってよりセンセーショナルなフレーズに改題されたという経緯がある。ここに見られる沖縄出身であること、そして女性であることによって被る差別の重層性は、90年以上が経過した今現在と照らし合わせても無関係ではないだろう。

 久志さんがその後、新たな作品を発表することはなかった。

行政に顧みられない困窮「未亡人」たち

 戦後の資料を中心に紹介している「米国施政権下の女性と生活」導入部分で目を引いたのは、琉球政府文書の「未亡人会に関する件」(1950年)という資料だ。当時の米国軍政府副長官から宮古・八重山の軍政官に宛てたこの文書では、戦火によって夫を亡くした「未亡人」たちの団体からの支援の陳情について、軍政府で討議した結果が以下のように述べられている。

「未亡人に対して単独な救済計画をなすという事は他の幾多の貧窮団体に対しても斯様な資金計画の先例起すと共に一般の婦人団体をも特殊報酬を目的とする利益団体にかえようとするものである」

 簡単に言うと「未亡人」だけ特別扱いすると他の団体も同じように支援を要求してくる「利益団体」となる先例になるから、陳情には応じないということだ。この後には「未亡人」を「特殊な計画」で支援するよりも、「普通一般の共同活動や共同利益に身を入れるよう奨励されるならば彼女達はもっと正常に暮らしていくことが出来るだろう」という言葉が続く。

 戦後間もなく混迷している時期といえど、現場の困窮を顧みずに行政側のロジックで支援の有無を断じていることがうかがえるこの文書に、今日頻繁に使われている「自助努力」「自己責任」といった言葉を想起した。

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