「ハワイと沖縄の架け橋」44年間邦字紙発行 移民1世の生活記録した”歴史資料”

 

移民1世に敬意「遊び場」に

沖縄からの移民一世を紹介した紙面

 当初の紙面作りで心掛けたことは「移民1世の方々の遊び場にしよう」ということだった。その一環で学芸欄を1ページ設けると短歌や詩、琉歌など毎号30本ほどの投稿があり、読者から好評だったという。

 「戦後、沖縄が壊滅的な被害を受けたことに対して、1世の人たちは自分のことのように心配していました。復興へ向かう沖縄に豚や山羊、古着を送り、その資金造成のためにハワイでは舞踊や三味線大会などの芸能も盛んになりました」と語り、1世に対する敬意を示す。

 「一世の『顔』」や「一世の日々と周辺」といったコーナーを設け、インタビューを重ねた。移民後にサトウキビのプランテーションで重労働に従事した人、その後に豚飼いを始めた人、レストラン経営を始めた人、市内で雑貨店を営んだ人。多種多様な人生を記録した。内容は、もちろん明るい話ばかりではない。仲嶺さんが振り返る。

 「養豚業の人は当時、日系人の家を訪ねて残飯をもらい、それを豚の餌にしていました。豚飼いの人たちが来た時に合図で缶詰の空缶を叩いて集落に知らせたと言います。それで、豚を飼って食べる習慣のなかった日系人の間で『オキナワケンケン、ブタカウカウ』(ケンは「県」や「空缶」、空缶を叩く音を表す。カウカウはハワイで「食べる」の意味)という蔑視の言葉が生まれました。2世の人も学校で言われたりしたということで、私にその話をこぼした人が何人もいましたね」

 さらに続ける。

 「今、沖縄関係者はハワイでも経済的に良い環境にあると思います。成功した一つの理由として、嫌な仕事も先人がやってきたということ。雑貨店一つとっても、1日15時間くらい働く大変な仕事。豆腐店や味噌屋を始めたのも沖縄出身者ですが、朝早くから頑張っています」

 「また『コウイダシキ、カミダシキ、ミイダシキ』という方言があり、この言葉に沖縄の心が表れています。同じ沖縄出身者が店を出したら物を買って助ける、食べて助ける、舞踊などをすれば見て助ける、という意味で、一世が健在だった30〜40年ほど前までは言う人が多かったですね。彼らはこの気持ちを持って助け合ってきた。私も非常に感銘を受けました。これも成功した一つの要因だと思います」

最終号には感謝の言葉並ぶ

2020年12月15日に発刊された最終号

 沖縄コミュニティに浸透していく中、県人のハワイ移住90周年の節目を迎えた1990年に転機を迎える。ハワイと沖縄の交流拠点となる施設「ハワイ沖縄センター」が完成し、仲嶺さんは「沖縄とハワイの架け橋は県人会に任せるべきだろう」と感じた。これを機に、紙面はハワイに住む日系人全体向けの内容に転換していった。

 その後も地域の催しや企業の動きなど紙面を充実させていき、ハワイ日経社会の重要な情報源として存在感を発揮。購読者は1995年ごろにピークを迎え、一時は5,000部を超えた。2015年には日本とハワイの相互理解、友好親善に尽くしたとしてハワイ日本国総領事館の総領事から外務省表彰を受章。翌2016年にはホノルル市議会から「Good Citizen Award」を授与された。

 コロナ禍に入り、広告や購読料による収入が激減したことで廃刊を決意したが、終盤には約2万ドルもの寄付があったという。2020年12月15日に発刊した最終号には広告62本、挨拶文17本を含め、約100人もの人が惜別の想いを寄せた。

新聞発行を続けた44年間を振り返る仲嶺和男さん

 44年もの年月を振り返り、「大きな病気にもならず、よくやったなという気持ちでした。創刊号からずっとスポンサーをしてくれた業者、企業もいました。本当にありがたい」と語る仲嶺さん。最終号の1面に掲載した感謝を記した文章では、最後をこう締めくくった。

 〈私共はこれで誇りを持ってハワイパシフィックプレスに別れを告げることができます。みなさん、お世話になりました。サヨウナラ〉

 沖縄では10月31日~11月3日に「第7回世界のウチナーンチュ大会」が開かれ、ハワイからも多くの県系人が来沖している。今後も沖縄とハワイの絆を強めていくため「色々な催しで交流することが大事。県費によるハワイ留学制度の人数を増やしていくなど、そういったことができたら一番いいですね」と穏やかな表情で語った。

 ハワイ・パシフィック・プレスの紙面は那覇市の県立図書館に寄贈されており、閲覧することができる。

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長嶺 真輝

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ながみね・まき。沖縄拠点のスポーツライター、フリーランス記者。
2022年3月まで沖縄地元紙で10年間、新聞記者を経験。
Bリーグ琉球ゴールデンキングスや東京五輪を担当。金融や農林水産、市町村の地域話題も取材。

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