台湾・和平島の「琉球漁民慰霊碑」国民党に撃ち殺された琉球人
- 2022/1/25
- 国際
1905年頃、沖縄から主に漁民らが移住しはじめ、最盛期には560人が住む台湾最大の琉球人集落・琉球埔があった島がある。和平島だ。この島にある公園には「琉球漁民慰霊碑(琉球ウミンチュの像)」が佇んでいる。公園では、島に暮らした琉球人に思いを寄せて、沖縄物産展が開かれている。
台湾本島に一番近い離島・和平島
和平島は台湾北部玄関口・基隆港東北側に突き出している島で、3つの小島から形成される。台湾本島に一番近い離島であり、全長100mほどの和平橋で行き来できる。元々は原住民のケタガラン(凱達格蘭)族が暮らしており、漢民族が基隆で最初に住み着いた場所でもある。
大航海時代、ヨーロッパ諸国が貿易による利益を求めるため、アジア進出をはかったとき、スペイン人が台湾に上陸した最初の地でもあり、歴史的な転換期の舞台でもある。
1626年、スペイン人は島にサン・サルバドル城を建て、台湾北部を中心に植民地統治を開始し、1642年まで続いた。
ところが、中国の明が衰退して清が台頭すると、明が台湾を占拠して清への反攻拠点にするため、ヨーロッパ勢を追い払ったが、のちに清に降伏。清は台湾を福建省の統治下に編入した。しかし、清は台湾を「化外の地」、こちらに住む人々を「化外の民」と呼び、台湾への統治には消極的だった。1894年、清は日清戦争で日本に敗れ、下関条約を締結し、台湾を日本に割譲。1895年より、日本の統治下に入り、1945年の日本の敗戦まで続く。
島に溶け込んでいた沖縄漁民
台湾の日本統治時代に島は「社寮島」と呼ばれていた。沖縄から移民した漁民たちは、漁業全般の技術を現地の住民に伝授し、ともに仲良く暮らした。