富山で小中高生の創作劇上演へ 沖縄から移住した演出家の思い

 

 比屋根さんが小学生の時、与勝地域の出身だと知られると、軽く馬鹿にされるように感じていたといい、出身地を隠して過ごしていた。自身も「大人になったら勝連には絶対戻ってこない」と強く思っていた。

 しかし、中1で「肝高の阿麻和利」に出会って活動していく中で、その価値観が180度変わった。自然と自分の地域が誇りに思えるようになった。

 「こんな田舎の子どもたちに何ができるんだ」「こんな何もない地域で、舞台なんて」。肝高の阿麻和利を立ち上げる時もあった声。それでも地道に1年、2年と舞台を続け、気付けば20年以上経った今も活動が続いている。

 「氷見でも舞台表現を通して、地域を盛り上げることができるんじゃないか」。自身の実体験から、思い切って氷見への移住を決めた。

比屋根さん原案・脚本・演出・主演・制作の舞台「命ぬ紬詩」

新たな地で子ども達が輝ける居場所を

 着任して約1ヶ月半。現在は脚本を作りながら、今月7月から始まる舞台ワークショップの準備中だ。

 「『(芸能が根付く)沖縄だからできた』ではなくて、子どもたちの元々もっている素質を見て、光を当てることができれば地域は関係ない。地域それぞれのオリジナルの文化、歴史が根付いているので、そこに焦点を当てて、その文化歴史と子供達がしっかりと交わることができれば、沖縄だからとか、芸能があるないとかは関係ない」と比屋根さんは話す。

子どもたちと田植え体験に参加する比屋根さん=富山県氷見市

 また、比屋根さんは抱負を語る中で「子どもたちの居場所作り」という言葉を何度も口にした。

 「舞台作りは、エンターテイメントでありながら、居場所作り。ただ演技が上手くなる、ダンスができるじゃなくて、新しい形の『居場所を作りたい』が大きな目標。学校と家以外の自分だけの居場所があることが重要だと体感してきた。その機会を少しでも多くの子どもたちに作っていきたい」と実体験から話す言葉には重みがある。

 地域の歴史や文化を知り、演じることで、地域に対する誇りが生まれ、故郷が本当の意味での自分の居場所となる。

 「何もないと思っていた自分の故郷が、実は魅力に溢れた地域だったと氷見の子どもたちにも気付いてもらいたい。氷見でも、子どもたちの居場所となれる舞台、自分への誇りを取り戻せる舞台を目指して取り組んでいきます」

 うるま市勝連から生まれた「肝高の阿麻和利」。その経験を胸に、新たな地で子どもたちが輝ける場所を創る。

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