【復帰50年】歴史、基地、経済… 沖縄の今とこれからを“復帰っ子”で議論

 
本土復帰について語り合う「復帰っ子」の議員たち

 1972年生まれのいわゆる「復帰っ子」で構成する「沖縄県復帰っ子連絡協議会」が7日、復帰50周年イベント「復帰っ子が語る沖縄のこれまでとこれから」を那覇市の若狭公民館で開催した。復帰っ子の県議会議員や市議が語るシンポジウムと、元副知事の上原良幸さんの講演が行われた。

 復帰後、これからの沖縄を担う存在としての期待も込められた「復帰っ子」という呼称が、時代を経ることで消えつつある現状を踏まえながら、50年という節目を“一区切り”として今後の沖縄や、これまでの沖縄について語り合った。

忘れ去られ始める本土復帰

 シンポジウムにはパネリストとして、仲村未央県議、岸本洋平前名護市議、國場幸之助衆院議員、上里直司那覇市議が登壇。島袋大県議もビデオメッセージでコメントを寄せた。コーディネーターは復帰っ子連絡協議会代表の前泊美紀那覇市議が務めた。

 最初の話題は、開催日前日に沖縄歴史教育研究会が発表した、県内の公立高校2年生を対象にしたアンケートで沖縄が日本に復帰した日を問う設問の正答率が2割に留まったことについて触れた。

 上里さんは「我々も含めて、これまで復帰をちゃんと伝えてこなかった部分もある。50年が経った今でも、復帰運動も含めてきちんとした批判をできていないのではないか」と意見を述べた上で、「屋良朝苗さんは復帰を『世紀の大事業』とまで言っているが、半世紀が経過した現在にこんなにも知っている人が減っているのは残念に思う」と話した。

「問題意識や価値観が分断されて、何かを共有して一緒に取り組むことが難しくなっている」と懸念を示したのは岸本さん。復帰直後には「本土に追い付け追い越せのハングリー精神があって、『この島をどうにかしたい』という思いがより一層強かったのではないか」と指摘。
 県民の問題意識や価値観が分断、多様化したことで「色んなことが成し遂げられてきた反面、地元へのこだわりや愛着が薄れているかもしれない」と語った。

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