夢は沖縄男子初のオリンピアン バレーボール日本代表登録メンバーに選ばれた仲本
- 2022/4/25
- エンタメ・スポーツ
転んでもただでは起きない。座右の銘に掲げるその言葉が、止まることの無い成長を支える原動力だ。
今月発表された2022年度のバレーボール男子日本代表登録メンバーに初選出された西原町出身のアウトサイドヒッター、仲本賢優(24)=西原高ー日体大出、パナソニックパンサーズ所属=。Vリーグのルーキーイヤーは日本トップ級の選手の強烈なスパイクやサーブにうまく対応できず、「ちょっと心が折られた感じもありました」。
しかし2季目を終えた今、少しずつ自信も付いてきた。
「シーズンを通して監督、コーチと毎日サーブレシーブなどのディフェンス練習に取り組んできた。徐々に、少しずつですけど、安定はしてきたのかなぁとは思います」
飽くなき向上心ゆえに言葉は控え目だが、高いレベルで揉まれて成長を実感している。
アタック力に手応え
今月21日、沖縄県内で合宿中の仲本がチーム練習後にインタビューに応じた。沖縄は年末年始に帰省して以来。むわっとした空気が漂う体育館で「この暑さで『帰ってきたな』というのは感じます。言葉に表すのは難しいですけど、エネルギーが湧いてくる」と爽やかな笑顔を浮かべた。他の選手には堪える蒸し暑さも、南国育ちの仲本にとっては力の源だ。
シーズン3位で終えた今季の振り返りを聞くと、「前半の方は」と前置きした上で、個としての自己評価についてこう答えた。
「自分のプレーのどういうところが通用するのか、しないのかがわかった。自信を得られるシーンはたくさんありました」
「自信を得たプレー」の1つは、アタックだ。身長187センチとリーグでは小柄だが、西原高校時代はエースを張っていた。もちろん学生とVリーグでは歴然としたレベルの差がある。それでも昨夏から「ハイボールや2段トスのスパイクを決め切る練習をずっとしてきました」と、難しいシチュエーションで決め切る力を養い、成果を出した。
出場減った2年目後半 サーブとブロックに課題
しかしシーズン後半に入ると、状況が一変する。早稲田大の現役生で、昨夏の東京五輪代表の大塚達宣が今年1月に加入し、出場機会が激減。シーズン終了まで、再び存在感を取り戻すことはできなかった。
「大塚選手も素晴らしいプレーヤーなので、その辺に関しては自分自身でも整理は付いてますけど、やっぱり試合に出られなかったというのは悔しさが残ります」
もちろん、転んでもただでは起きない。自身の力不足は認めている。「大きく挙げるとすれば、彼にあって僕にないものはサーブとブロックの2点です」と既に課題は明確だ。
サーブで意識するのは、サーブによる得点と失点を加味し、いかに相手を崩せたかを示す「効果率」を上げること。「僕のサーブは少しミスが多かったり、ミスをしたくないがために簡単に入れて簡単に返されたりすることがあったので、そこを克服しないといけない」と攻めのサーブを磨く決意を固める。
ブロックでは「ブロックは高さだけじゃない」と身長を言い訳にしない。「後ろのディフェンスとの兼ね合いや、相手の嫌がるところに手を出していくことが大事」と状況判断力を養っていく。
東京五輪で決意新た 最高峰への思い
上がり下がりはあったが、初めてオールスターに選出され、日本代表の登録メンバーにも選ばれて飛躍のシーズンであったことは間違いない。
Vリーグ入りしてから瞬発系のウエイトトレーニングに力を入れ、大学時より体重は落ちているというが、見た目はよりがっしりとした印象を受ける。「効率良く力を発揮することに焦点を当てている。今の方が体の形はいいかもしれない」と仕上がりは順調なようだ。
デビュー2年での日本代表登録メンバーの選出には、初めは「えっ、本当に?」と驚いたというのが正直な感想という。今後は世界選手権など大会ごとに、登録メンバーの中から出場選手が選ばれる。「できることはプレーでアピールしていくことしかない。余計なことは考えず、そこだけに集中してます」と足元を見詰める。
ただ、昨夏の東京五輪には大きく刺激を受けた。チームメートの清水邦広や山内晶大、大塚が日の丸を背負い、パンサーズのロラン・ティリ監督はフランスの男子代表を率いて金メダルを獲得。沖縄県勢では女子の星野賀代(アトランタ)や座安琴希(リオデジャネイロ)が五輪に出場しているが、男子のオリンピアンはいない。身近な人たちが大舞台で活躍する姿を見て、「やっぱり自分も出たい」と五輪への思いを強くしたという。
元バレーボール選手で、三つ上の姉・百合香さんは「賢優も近くにすごい選手がいたから上手くなりたいと思ったはず。今の子どもたちに刺激になるプレーをしてほしい」とエールを送る。
仲本は高校時代から世代別の日本代表には選ばれていたが、公立高校出身で決してエリートだったわけではない。
「自分が出場選手に選ばれて国際大会でプレーすることで、『エリートではなくても沖縄からでもここまで手が届くんだぞ』ということを沖縄の選手たちに伝えられたら最高です」
沖縄のバレーボール界を先頭で引っ張るという自覚を胸に、貪欲にボールを追い続ける。