石原慎太郎氏死去 沖縄にとってその意味は
- 2022/2/2
- 社会
「日中が軍事衝突しても構わないとの立場だった」
このように尖閣周辺は緊張が高まっているが、この要因になったのが石原氏の“尖閣都有地発言”だろう。12年9月に国有化を閣議決定した野田佳彦元首相が、「5年前の決断」と題し自身のブログ(17年9月11日付)で、石原氏とのやりとりを率直に明かしている。
〈(略)2012年4月16日、当時の石原慎太郎・東京都知事がワシントンで講演し、尖閣諸島の3島を都が地権者から買収する意向を表明しました。この電撃的発言は日本国中に大きな旋風を巻き起こし、巨額の寄付金が一気に集まりました。(略)
その直後の5月18日、私は総理執務室に官房長官、官房副長官、首相補佐官、外務次官、官房副長官補などを秘かに集めました。尖閣国有化に向けた具体的な行動を指示するためでした。以後、このチームが手分けして、石原氏の動向を探り、地権者と粘り強く交渉し、中国や米国の根回しに奔走しました。
中国をいまだに支那と呼ぶ対中強硬派の石原氏の下で、島が都有地になれば日中関係が険悪になると判断したからです。わが国固有の領土である尖閣諸島を、いかに長期的に平穏かつ安定的に管理するかが、私の問題意識の根底にありました。
この思いを確信したのは、8月19日の石原氏との直接会談でした。石原氏は島に船だまりを作ることにこだわっていました。しかし、船だまりを作れば、日本の漁船だけが利用するとは限りません。台風の時に中国や香港、台湾の船も緊急避難してくるでしょう。活動家の上陸を呼び込み、係争が日常茶飯事になってしまう可能性もあります。約1時間半の議論は平行線のままに終わりました。
この会談で明らかになったことは、石原氏が島の現状変更を契機に、日中両国が軍事衝突をしても構わないという立場だったことです。詳細なやりとりは省きますが、自衛隊の最高指揮官として看過できない発言もありました。以降、私は、国有化に向けた動きを一気に加速しました。(略)〉
野田氏の言う「日中両国が軍事衝突しても構わないという立場だった」「自衛隊の最高指揮官として看過できない発言だった」。これらを石原氏本人の口から聞くこと叶わなくなったが、国有化閣議決定後の翌10月に都知事を辞任したことと尖閣諸島の国有化が無関係ではあるまい。