沖縄の球団チア、プロデュースは海外でも活躍するこの人!(下)
- 2021/9/3
- エンタメ・スポーツ
沖縄県内のプロスポーツの球団チアチームをプロデュースする株式会社BUPPIE RECORD (バッピーレコード、那覇市)代表の吉田邦彦さん。世界各地からダンス講師として誘いを受ける中、新天地として選んだ台湾での活動は?もしかしたらマイケル・ジャクソンと一緒に仕事をしてたかもしれなかった?
FEC所属のスポーツ大好き芸人・ぎぼっくすが全2回にわたってお届けするインタビュー後編は、そんな吉田さんの波乱万丈に満ちた半生を紹介する。
吉田さんとダンスの出会い
ぎぼっくす:吉田さんがダンスと出会ったきっかけを教えてください。
吉田さん:僕は東京生まれで札幌育ちなんですが、学生時代はずっと野球をやっていて、北海道内の強豪校で甲子園を目指していました。残念ながら甲子園には行けずに野球を引退した後アルバイトを始めたんですが、バイト先の先輩に連れていってもらったディスコでロボットダンスを見たのがダンスとの出会いでした。まだヒップホップという言葉も日本に浸透していなかった1984年でした。それからディスコに通うようになったんです。高校卒業後に就職しても野球は続けていて、夜になるとディスコに通うという生活をしていました。
ぎぼっくす:いつごろからダンスを仕事にし始めたんですか?
吉田さん:社会人野球をやっていてもプロ野球選手にはなれないし、次の生き方を考えていた頃に札幌のススキノで外国人ダンサーのショーを見たんです。そのショーを見た時に自分はこれを仕事にしたいと思い、勤めていた会社を退職しました。東京に出てTRFのSAMさんが教えていた「BDCダンススクール」に1年間通った後、札幌に戻ってススキノでショークラブのダンサーや振り付けとして活動していました。
世界大会での出会いで国際的な活動へ
ぎぼっくす:その後は国内でどのような活動をしていましたか?
吉田さん:札幌でダンスを教えてた子が東京に進出して、DEENのボーカル池森秀一として売れていったり、ダンススタジオがあったビルの上の階で劇団活動をしていた俳優の大泉洋と顔を合わせる度に「お互い頑張ろうね」と声をかけあったりしていました。そんな環境の中で刺激されて日本全国、海外でも活動したいなという思いが強くなりました。
そんな中で4人組ダンスグループ「b-way」で東京の色々なコンテストにチャレンジしていました。そこで一度2位になった事がありまして、その時に現場にいた関係者に推薦されて名古屋で行われた世界大会に出場したんです。 そしたらさらに、世界大会の現場で各国の関係者から「うちの国でダンスを教えてほしい」とお誘いを受けたんです。
ヨーロッパ、アメリカ、韓国などありがたいことにたくさんのオファーを受けたのですが、台湾に行く事にしました。