馬毛島秘録 知られざる内幕②
- 2020/6/14
- 政治
基地整備のために昨年11月に防衛省が買収したのが鹿児島県の馬毛島だ。国家石油備蓄基地構想や使用済み核燃料の中間貯蔵施設構想、さらには無人宇宙往還機「HOPE」の着陸場構想と、次々と怪構想の舞台となったこの無人島の知られざる内幕を明らかにするシリーズの第2話。なお、第1話はこちらを参照(https://okinawanewsnet.jp/?p=576)。
島には神社まで
「バリバリバリ」という轟音とともに大型ショベルカーが地面を削り取り、土砂をダンプに積んでいた。土砂がいっぱいになると、ダンプは島の反対側の低地へと次々と向かう。盛土をして島を平坦にするためだ。
馬毛島に初めて上陸したのは、2011年。いたるところで大規模な整地工事が進められていた。立石氏は都内で経営していた建設会社のダンプや重機を島に持ち込み、南北4200メートルと東西2400メートルの2本の滑走路の建設を目指していた。当時、この工事のためにすでに150億円も投じたと話していた。
島はさながら立石氏の王国だった。島には6階建ての事務所棟や作業員の宿舎、食堂がならび、電気は自家発電、水は地下60メートルから汲み上げているという。船が停泊する埠頭のそばには、自らの名前を冠した「立石神社」まであった。
FCLPの訓練地を誘致
最初はこの島に貨物専用の空港を建設する構想だったという。米国の貨物ハブとして知られるメンフィス空港に着想を得てアジアの貨物ハブを目指そうと考え、大型重機で島のあちこちを削り始めたのだ。ところが、中国に貨物専用に空港が建設されると聞き、早々に諦めてしまった。次に考えついたのが、米海軍の空母艦載機の離着陸訓練(FCLP)基地を誘致することだ。
FCLPとは、横須賀を事実上の母港とする米海軍空母の艦載機である F/A−18の部隊が行う、タッチ・アンド・ゴーなどの訓練をいう。艦載機が着陸する空母の甲板は、長さ200メートルほどしかない。そのため、機体下部に取り付けられたフックを甲板上のワイヤーにひっかけることで、急減速してぴたりと着陸するわけだが、うまくひっかからない場合、再び急加速して飛び立たなければならない。そうしなければ、海に落下してしまうからだ。
この着陸動作には高い技術を必要とし、米海軍では艦載機のパイロットに長時間のFCLPを行うようノルマを課している。そうやって練度を維持するのだ。問題は、空母が横須賀で補給や補修を受けている間はどこで訓練を行うのか。その期間は数か月にもおよぶ。
FCLPは、なにせ低空飛行でタッチアンドゴーを繰り返すため、凄まじい爆音をともなう。過去には神奈川県の厚木基地で行われていたが、住民による爆音訴訟で敗訴が相次ぎ、現在は太平洋上の孤島である硫黄島で訓練が行われている。
だが、艦載機の基地がある山口県の岩国基地からは硫黄島まで1400キロも離れており、F/A−18の航続距離ではギリギリだ。不測の事態が起きた時には、太平洋上に落下しかねない。
2006年に日米両政府が合意した「在日米軍再編ロードマップ」には、硫黄島に代わって新たなFCLP用の飛行場を「2009年7月またはその後のできるだけ早い時期に選定する」とある。理由はすでに述べたとおりで、岩国からでは硫黄島まで距離があり過ぎるからだ。
その点、馬毛島は岩国から400キロしかない。無人島であり、対岸の種子島までおよそ10キロと一定の距離があることから騒音対策もハードルが高くない。しかも、非常に平坦な地形のこの島は滑走路の整備に向いている。
こんなことをやっているのは世界で私だけ
立石氏が名乗りを挙げると、日本国内の300か所を候補地として検討したという防衛省も飛びついた。三宅島(東京都)や瀬戸内海に浮かぶ大黒神島(広島県)なども有力な候補地となったことがあるが、表面化するたびに騒音などを懸念する地元の反対で断念に追い込まれていた。
ところがいざ馬毛島をめぐり交渉が始まると、条件がまるで折り合わない。賃貸を求める立石氏に防衛省は売却するよう求めたのだ。交渉は膠着状態となった。理解し難いのは、防衛省との交渉に入ってからも、そしてその交渉が暗礁に乗り上げてからも、立石氏は自社の従業員を使って島で整地工事することを止めようとはしなかった。
「少しでも早く基地として利用できるようにと、土日も休みもなく工事を続けています。重機の燃料の重油だけでも1か月に6万リットルも必要になりますが、これまで行政からは一銭も補助を受けていません。民間でこんなことをやっているのは世界でも私しかいないでしょう」
自嘲気味なのか、ヤケクソなのか。とにかく立石氏は当時そう話していた。自力でも滑走路を整備してみせるとの姿勢を示すことで防衛省に圧力をかけていたのかも知れない。
辺野古の代替案にも
その馬毛島の名前がFCLPの訓練基地以外で浮上したことがある。民主党の鳩山政権の時である。
「最低でも県外」
米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画に反対する公約を掲げた鳩山由紀夫氏は、政権を握ると県外・国外移設の可能性を模索した。この時に代替案として鹿児島県の徳之島などとともに挙がったのが馬毛島だったのである。
立石氏の証言によると、接触した民主党関係者は切羽詰まった様子で「言い値でいいから島を使わせてくれ」と言ってきたという。それまで防衛省が渋っていた賃貸とすることを飲ませると、その額も普天間飛行場の賃貸料と同程度とすることで合意した。その合意内容をあらめて確認するため、官房副長官だった松野頼久氏宛に要望書という形で立石氏が提出したのが以下のコピーである。日付は平成22年(2010年)4月21日とある。
当時は県外移設を実現できるかどうかめぐり政権が倒れる、倒れないという局面にあった。立石氏と交渉する側も普天間の県外移設を実現しようと必死だったのだろう。しかし、馬毛島案には閣内でも反対の声があがり、もう一つの案だった徳之島案は地元の強い反対に直面する。
5月4日には鳩山首相は沖縄を訪問して県外移設断念を表明。翌月には政権を放り投げる形で内閣総辞職に追い込まれたことはご存知の通りである。合意したはずの馬毛島の賃貸の話も立ち消えになったのだという。
2+2明記に地元は反発
続く菅直人政権では、もはや辺野古移設の代替案との話は出てくることはなかった。ただし、FCLPの訓練計画を進めることに菅政権は積極的だった。普天間をめぐる鳩山政権の迷走でギクシャクした日米関係の改善に取り組む必要もあったからだ。
2011年6月、ワシントンで開かれた日米の外務・防衛閣僚による日米安全保障協議委員会(2+2)で、日本側は馬毛島について米側に詳しく説明。委員会後に出した共同発表で、馬毛島がFCLPの恒久的な施設として検討対象となっていることを明記した。
ところが、この動きに猛反発したのが、地元の鹿児島県や西之表市だ。すぐさま小川勝也防衛副大臣らが鹿児島県庁や西之表市役所を訪れて経緯の説明にあたったが、反対運動は高まるばかりとなった。
日米関係の改善を急ぐあまり、地元への丁寧な説明が欠けていたとしか言いようがない。だが、反発していたのは地元だけでなく、地権者の立石氏もそうであった。交渉が全くまとまる兆しもない中での発表だったからだ。
(続く)