沖縄初の車いすソフトボールチームが始動 琉球ワイルドキャッツ
- 2022/4/14
- エンタメ・スポーツ
沖縄初の車いすソフトボールチームが誕生した。その名も「琉球ワイルドキャッツ」。競技の知名度はまだ全国的にも低いが、障がいの有無に関係なく楽しめる競技性が魅力だ。2月から練習を始め、毎回20人ほどが集まる。今月23日には県外からチームを招いて初の強化試合も予定しており、年内の公式戦出場を目指している。
今月12日夜、浦添市の障害者福祉施設「サン・アビリティーズうらそえ」。この日はチーム結成から8回目の練習が行われていた。
「ナイスバッティング!」「ゲッツー取ろう!」。タイヤと床が「キュッキュッ」と擦れる音と共に、体育館に威勢の良い声が響く。車いすに乗りながらボールを投げ、バットを振り、勢い良く走る。選手たちは汗を流しながら、楽しそうにボールを追っていた。
1チーム10人でプレー 片手スイングも
ボールがソフトボールの球よりも若干大きいことを除けば、基本的なルールは野球やソフトボールと同じ。ただ選手一人一人の守備範囲が限られるため、1チーム10人(脊椎損傷者など「クアード」と呼ばれる重度障害の選手がいなければ9人)でプレーする。
10人目の選手は「SF(ショートフィールダー)」と呼ばれ、投手・捕手の定位置以外のフェアゾーンであればどこで守ってもいい。打撃は座った状態でスイングするが、障害を抱える部位によって腰の可動域が選手ごとで異なるため、バットの持ち方は両手か、片手のみにするかは自由だ。
障がいの部位や内容によって選手は4段階(0~3点)にクラス分けされ、出場選手の合計点が21点以下(クアードの選手が不在の場合は19.5点以下)でないといけない。
車いすバスケットボールや車いすラグビーなど接触の多い球技より、比較的運動量が少ないため、障がいの度合いや有無、年齢に関わらずより幅広い層が楽しめる。障がい者スポーツの団体種目としては数少ない屋外競技であることも魅力の一つだ。
結成のきっかけは昨年末の体験会
ワイルドキャッツ結成のきっかけは、昨年12月に日本車椅子ソフトボール協会が競技の普及を目的に沖縄市のコザ運動公園で開いた体験会。運営を手伝った沖縄県身体障害者福祉協会の伊敷藍さんは「私も『こんな競技があるんだ』と体験会で知りましたが、障がいの有無に関係なく100人以上が参加してくれた。そこで体験した人たちで立ち上げました」と説明する。
中心を担ったのは主将の伊波朝一さん(52)。1987年に沖縄で開催された第42回国民体育大会(海邦国体)のソフトボール少年男子のメンバーだった。22歳の時にバイク事故で車いす生活となり、競技から長らく離れていた。だからこそ、体験会で胸の高鳴りを強く感じた。
「ボールを追いかけて、打って、投げて。久しぶりの感触で、本当に面白くてハマっちゃった。これはすぐにチームを立ち上げないといけないと思って、声を掛けまくりました」
子どものように笑い、そう振り返る伊波さん。タイヤが八の字になった競技用車椅子の扱いに慣れないと外野に打っても一塁でアウトになったり、車椅子の横に手を伸ばした方がゴロを拾いやすかったりと、車いすソフトボールならではのコツも少しずつ掴んできて、独特の面白みもやればやる程分かってきた。「試合になると、ふつふつと『負けたくない』と言う気持ちが出てくるんですよね」と、今も内なるスポーツ熱は衰えていなかったようだ。
目標は日本選手権優勝
県外から2チームを招く今月23日の強化試合は沖縄市のモータースポーツマルチフィールドで開き、それぞれと2試合ずつの計4試合を行う。対外試合を通してゲームの流れや課題を見つけ出し、チーム力の向上につなげる。年内に県外での公式戦出場を見込んでいる。
メンバーには車いすラグビーでパラリンピック4大会連続出場を果たした仲里進さんらもおり、伊波主将は「なかなかいいメンバーが揃ってる。冗談抜きで、来年には大会で優勝したい」と大きな夢を掲げる。2013年からは毎年全日本選手権も開かれており、日本一も目標の一つだ。
1970年代に米国で始まった車いすソフトボール。国内では2013年に日本協会が発足し、20年12月時点で全国に18チームが活動している。28年のロサンゼルスパラリンピックでの正式種目入りを目指しており、日本でも徐々に普及が進む。
ワイルドキャッツは今も選手集めを続ける。興味のある人は一度、練習や試合に足を運んでみてはいかがだろうか。