それでも聖火を繋ぐ ランナーたちの思い

 

 特別支援学校に勤務する新里惇さん(33)は、「強烈な個性がぶつかり合う中で、お互いの個性を認め合いながら生きていくことが平和に繋がる」と応募した。「琉球文化、日本文化、アメリカ文化の多様性を受け入れている沖縄には懐の深さがある。オリンピックは平和の祭典であり、聖火は平和の象徴。どうしても走りたかった。みんな仲良くが一番。走ることができて良かった」と笑顔を見せた。

 幼稚園から電動車椅子生活をおくる大城千沙さん(13)は、小学6年生の時に授業で聖火ランナーの募集があると聞き「絶対に走る!」と決めた。理由は3つ。1つは車椅子でも走れる、そして車椅子に優しい町になってほしいということ。2つ目は遠く岐阜に住むおじいちゃんおばあちゃんに元気な姿を見せたいこと。3つ目は平和のバトンを繋いで平和の担い手になりたいことだった。公園内の走行ルートには「千沙ちゃん頑張れ・ソフトボール部」の大きな横断幕も飾られていた。小学生の時には児童会長を務め、マラソンなど走ることも大好きな中学生。「あっという間だったけど、楽しかった」と素敵な笑顔で走り終えた。

聖火を繋ぐ大城千沙さん(左)
聖火を繋ぐ大城千沙さん(左)

 そして筆者は、移住した与那原町の大綱曳で町中の人の心が繋がることに感動してこの町の良さを実感した。聖火も100年も前から世界中の人々の心を繋げてきた。沖縄の伝統を未来に繋ぐことと同じように、オリンピックの精神である平和の心を繋ぎたいと応募した。そして、「東京オリンピックまで生きたい」と頑張る病の母に向けて走りたかった。1年の延期で母は虹の橋を渡ってしまったが、空の上から見守ってくれていたと思う。

苦しい胸の内で走り抜ける

 それぞれの思いを聖火にのせて繋いだ炎。苦しい胸の内で走り抜け、またこれからもその中で繋いでいくランナーたち。継続か中止か、どちらが正しいのか誰もわからない。

希望の灯とかかれたバス

 最後に、聖火リレーを見守っているグレーのユニフォームをまとった多くのスタッフは、ランナーたちを励まし、勇気づけてくれている。福島のスタートから東京までのおよそ4ヶ月間、一度も自宅に戻らず、現場と宿泊先との往復のみ、万全の対策をして外出もできずにいるということだけは伝えておきたい。

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